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 はじまりがここでないとしてもはじまりと書けば、そこからものごとははじまるのであろうが、はじまりごとを書かずにはじめれば、烏丸御池の交差点を北に向かって渡りはじめた時に、思わず立ち止まって見たのである。欅並木の影が歩道を覆っている御池通の西の果てに山があった。首を返した通りの東にも、ビル建物の頭を越えた深緑色の山があった。山は烏丸通の正面にも見えていた。正面は北山の方角である。福島の気候は京都に似ている、と小学校の社会の教師が云った。いや京都の気候は福島に似ていると云ったのかもしれない。小学生の想像がどこまで京都に及んだのか覚えていない。しかしそうであれば、山のない東京の生活を経てやって来たこの目に、この盆地の景色が新鮮で眩しく、いや妙に懐かしくないはずはないのである。梅雨に入った御池通で雨に遭った。傘の用意もなく、スポーツ用品店の軒先に逃げ込んだ。入口の傍らに白いマネキンが数体無造作に横たわっていた。そのうちの一体は両手両足が捥がれ、胴も二つに切り分かれてあった。店員はマネキンに服を着せることも片づけることもしなかった。雨雲はまだ空にあった。間之町通の、戸を閉ざした仕舞屋の窓格子に張った蜘蛛の巣の糸に、降り止んだ雨粒が幾つもしがみついていた。指で弾くと、雨粒は京都盆地を映して宙に散った。

 「世界でその存在を知られている人種のなかで(たとえどんなに未開の連中であっても)、おたがいに出会ったときとか、ひとを訪ねるときとか、なにか特別の要件を果たそうとするときに、なんらかの儀礼、ないし挨拶というようなものをおこなわない人種は、今日までひとつも発見されていないのである。」(ゴンサーレス・デ・メンドーサ 長南実・矢沢利彦訳『シナ大王国誌』大航海時代叢書・岩波書店1978年)

 「県人口1万4289人減、減少幅、震災前の水準に」(平成26年6月26日 福島民友ニュース・minyu-net掲載)

 

 厚く刈り込まれたピラカンサの生垣に沿って、二条城の外濠を歩いていた。沿って歩けば元に戻るだけの道である。やって来た、シャツの胸を汗で濡らした老人とすれ違った。老人はのめるような足つきでジョギングをしているのだった。「何周目ですか」とは、看護師の声だ。その看護師は、とある病院の廊下を点滴柱を引き摺りながら歩く寝間着姿の患者に声を掛けたのだ。患者は応えず、看護師は歩みを止めずにすれ違っただけであったが。生垣の内で、脚立に乗った作業着の男が黄色く色づいた梅の実を摘み取っていた。さっきの老人とまた行き会った。老人は何周目に入ったのであろうか。二条城の裏に公園があった。老人たちがゲートボールをやっていた。老人たちはそろそろと静かに動き、静かに腰をかがめ、静かにひとかたまりになった。スティックでボールを打つ音が梅雨空に響き、二条城の石垣にも響いた。白いボールは砂地をあてもなく転がっていった。

 「おそかれ早かれ、近かれ遠かれ、落下は行われる。生きるためには、低く降りなければならぬ。」(ジャン・アンリ・ファーブル 山田吉彦・林達夫訳『完訳ファーブル昆虫記』岩波書店1985年)

 「国連科学委の評価重視、被ばく線量の健康影響で」(平成26年6月27日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)

 

 引越しの荷解きを残して通りかかった公園に、プラタナスが散らばるように立っていて、子どもらがサッカーボールを樹の間を縫うように蹴って遊んでいた。梅雨前の空は明るく、地面は樹の影で斑らになっていた。ボールを操る子どもは、影にも日向にもとどまらなかった。公園の隅に祠があった。顔も躰も白く塗られた地蔵が中に祀ってあった。白塗りのその顔を見て、てるてる坊主の歌を思い出した。「あした天気にしておくれ いつかの夢の空のよに」 いままで晴れた日の空の夢を見たことがあっただろうか。青い空が出てくる夢は幸福な夢だ。聚楽廻中町の、町家の二階の物干し竿にてるてる坊主がひとつぶら下がっていた。描いた者の手つきが分かる、目の小さなてるてる坊主だった。

 「打者が二塁を踏まないでアウトになった時は単打、三塁を踏まないでアウトになった時は二塁打、本塁を踏まないでアウトになった場合には三塁打がそれぞれ記録される。一塁を踏まないでアウトになった時は、打数が課せられるが、安打とはならない。」(『1953公式野球規則』ベースボール・マガジン社1953年)

 「「第一原発地下水バイパス」排水効果見通せず」(平成26年6月28日 福島民報掲載)