東京都美術館バルテュス展をやっていた。東京での住まいは上野桜木にあった。東京都美術館までは、言問通を渡ればすぐだった。行き帰りに《夢見るテレーズ》の膝を立てたポスターを目にしたが、観に行かなかった。慌しく東京を去る引越し準備の最中だった。寺町通の小間物屋の出格子に《夢見るテレーズ》のポスターが貼られていた。場所は京都市美術館である。夜に降った雨のせいで、アスファルトも空気も湿っていた。空の梅雨雲に、雨のしぼんだ朝の明るさがあった。西大路通のHondaのガラスの内側で、社員が一人を中に半円に立ち、ミーティングをしていた。A君ほかには。特にありません。特にないという一日のはじまりがある。折よくやって来た六地蔵行の地下鉄東西線に乗り込み、眼鏡のずり落ちた商人(あきんど)のような丸顔の男と目が合い、今日が月曜日であることに気がついた。市営の美術館は休みである。電車は暗い地下を走り出している。しかしその先に、行くべき場所がない。特にない。東山駅で下り、表に出る。風が薄ら寒い。琵琶湖疏水に架かる慶流橋の袂で、若い男たちが「うるしの近代ー京都、「工芸」前夜」という看板の取り付け作業をしている。川っ淵の石垣の縁に踵が半分はみ出している。朱塗りの鳥居の奥に、平安神宮の応天門が見える。鳥居を潜れば、左に本日休館の京都国立近代美術館京都府立図書館、右手に本日休館の京都市美術館がある。植込みの下草を刈る草刈機のエンジン音が左右に行き戻り、鳥居の足に纏いつく。バルテュスの《夢見るテレーズ》の皿を舐める猫も、《美しい日々》の暖炉の火も、《街路》の抱きつく男も、今日は見ることが出来ない。絵はすべて、中央大陳列室ハ鉄骨混凝土造其他ハ鉄筋混凝土造屋根小屋組ヲ鉄骨トシ床版壁体階段等主要部ハ鉄筋混凝土造トス、という建物の中にある。バルテュスを内側に立たせ、建物の外を一巡りする。目的地は同じでも目的が変わるということか。鳥の子色の肌理の粗い砂利が、行く手を阻むように敷き詰められている。平安神宮の本殿は遠い。参拝を終えた中年の婦人たちが、旗を掲げたガイドの後ろをついて来る。「キクヨさん、再婚したんだってよ」「どこのさ」「ほらハチヤの裏の」「誰と」「それほら、ノーキョーのわぎ入ったタガオさんだと」境内を北から風が吹き抜ける。カラカラ絵馬が揺れる。京都市中の七夕竹の飾りが揺れる。

 

  「天地の氣中に活動する万物悉く方圓の形を失はず。その一を以いふべし。人の体方にして方ならず。圓くして、圓からず。」(鈴木牧之編 岡田武松校訂『北越雪譜』岩波文庫1936年)

  「燃料プール冷却停止、第1原発5号機、配管から水漏れ」(平成26年7月8日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)