思い出を遡るということはよくある。思い違いということもよくある。その喫茶店は新京極にあった。新京極に行った理由は分からない。清水寺へ行った帰りだった。清水寺で通り雨に降られ、境内の茶屋の、水の流れるそばで生ぬるい心太を食った。清水寺から新京極までの道行きの記憶はない。二十数年前のことである。入り口を入ってすぐ左手にカーブのかかった白い階段があり、上った二階の窓際の席に座った。窓から新京極をそぞろ歩く人の通りがよく見えた。二階には客はおらず、がらんとしたフロアに安っぽい歌のない演奏が流れていた。入った時に見かけたのであるが、いくら待ってもウエイターもウエイトレスも注文を取りにやって来なかった。うたた寝をした。新京極のある店先で男が箸を買った。店員がおまけに、藍の線が入った白い飯茶碗を呉れた。男は左手にその飯茶碗、右手に箸を持って新京極を歩いて行った。すると、碗の中に千枚漬けの切れ端が放り込まれた。また行くと、うどんが一本放り込まれた。八ッ橋が一ヶ放り込まれた。男は端まで行ってそれを食った。翌日も飯茶碗と箸を持って通りを歩いた。鰻のかば焼きが丸ごと一枚放り込まれた。それを食うと酒が注がれた。男はそれから毎日飯茶碗と箸を持って通りを歩き、入ったものを食って飲んだ。着るものも貰い、履くものも貰った。男は何をするわけではない。飯茶碗と箸を持って日に一度歩くだけである。ある日男は、通りの手前で飯茶碗を落として割り、そのまま通りに足を向けずに去って行った。割れた飯茶碗は誰かの足で端に寄せられ、男のことはいつしか新京極から忘れさられた。何分そうしていたのか分からない。席を立ち、階段を下りた。階段の上がり口が赤いロープで塞いであり、一階のみの利用を促す札が下がっていた。新京極のアーケードは、時折落ちてくる雨に寄せられ、人の波が立っていた。喫茶店は見つからなかった。場所を間違えているのかもしれないが。

 「私は美に就いては語り得ない。然し最も善、最も美が雲に包まれた様に現はれ、朧げな感じを持つ愛情の前に、完成無缺の天空が開ける時が、言ふ迄もなく存在する。」(ヘルデルリーン作 渡辺格司訳『ヒュペーリオン』岩波文庫1936年)

 「川内、26日の避難解除見送り 反対相次ぎ、再検討」(平成26年7月14日 福島民友新聞ニュース・minyu-net掲載)