かつての勤め先に、写真を「サシン」と呼ぶ同僚がいた。カメラを趣味にしていたわけではない。たまたま話が魚に及び、そう云えば、と飼っている熱帯魚を撮った自分の携帯電話の画面を示し、「このサシン」と云ったのである。「サシン」に、水槽の底に横たわっている細長く黒っぽいものが写っていた。「サシンではよく分からないが」とも付け加えた。同僚は鯱を「サチホコ」とは云わないし、刺身を「シャシミ」とも云わない。しかしその後も写真は、必ず「サシン」と云った。同僚が「サシン」と云う時、その言葉はどことも知れぬ宙から不意に現れ来たような、独特の、抜き身のような響きがあった。もしかすると彼の云う「サシン」と、写真とは同じものではないのではないか。その度にそのような疑問すら湧いて来たのである。祇園祭の宵々山は凄まじい人の出だった。車の出入りを止めた四条通烏丸通は浴衣半袖の老若男女で溢れ返り、ずらりと並んだ露店で買った肉やトウモロコシや焼きそばやたこ焼きやかき氷などを歩きながら頬張り、かたや路肩でしゃがんで食っている。川のような流れの中でひとりが足を止めれば、後ろの履き慣れない下駄の足が転ぶ。齧りかけのフランクフルトが地面を転がる。提灯に灯りを点した四条通の山鉾を、夜の海に浮かぶ小島の灯りのように眺め、人波の少ない通りに足を向ける。前祭の山鉾は二十を超え、通りを上がっても下がってもそちこちで提灯を点している。粽どうですかあ、お守りどうですかあ、手ぬぐいどうですかあ、と子どもが会所でそろえた声を掛ける。カメラがあれば誰かれとなく、山鉾の提灯にレンズを向ける。撮った写真をその場で見る。もう一枚撮る。婦人科医院の軒下で厳つい三脚を構えて撮る者の写真は、「サシン」ではない。山鉾をバックにカップルがケータイで撮る写真も、「サシン」ではない。家族が交代で撮る写真も、たぶん「サシン」ではない。仕事の打ち合わせの話を切って撮るスマホの写真も、「サシン」ではない。しかしこうしている間にも、「サシン」はこの世のどこかで撮られている。それを「サシン」と呼ぶ者によって。

 「野外で働く人間と、閉じ籠った仕事をする都会の人間とのあいだに、日本ほどその容貌の差がはっきりとしている国はどこにもない。」(ピエール・ロチ 村上菊一郎・吉永清訳『秋の日本』角川文庫1953年)

 「第1原発津波試算「資料あった」 国一転、存在認める」(平成26年7月16日 福島民友ニュース・minyu-net掲載)