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 「ココハキンカクジデスカ」。門に立つ青い制服姿の警備員の一人に、リュックサックを背負ったでっぷりとした年配の夫婦らしい外国の二人連れの、その妻らしい者が訊く。訊かれた警備員は、その質問の意味を肯定するように、一回顎を引いて頷く。二人の警備員の背後に、百メートルは優に超える真っ直ぐな砂利道が、峻厳厳かに伸びている。入らなければ、金閣寺は永遠に仮説である。夫婦は目を合わせ、警備員の間を通り抜け、砂利道に一歩足を踏み出す。砂利の音が、入れば金閣寺、入れば金閣寺と鳴る。夫婦の重々しいリュック姿が、次第に小さくなってゆく。分裂した南北朝を一つに戻し、太政大臣という頂点の位を手にした足利義満が、最後に欲しがった場所だという。その場所を裏から見ようとすれば、大文字山に分け入るしかない。警備員の足元から大文字山の山裾に沿って延びている鏡石通を自転車で漕いで行くと、フェンスで囲まれた草地が途切れる左手に、児童養護施設京都聖嬰会という看板とその先に、ここは私有地につき修道院にご用の方並びに墓参の方以外は許可なく立入りを禁じます、との注意書きがあり、ブロックの門柱にカルメル会修道院と表札が出ている。自転車を押して中に入る。道を少し上ると、学校のような二階建の白い木造の建物が建っていた。道は建物の裏に沿ってくの字に曲がり、山の上の方に続いている。外に人の姿はなかったが、敷地の外れで、子どもを抱えた白い聖母像が、すぐ下の地面をじっと見つめていた。大文字山に用はあったが、カルメル会修道院にも墓地にも用はなかった。二人の青い警備員の前に帰り、左回りの氷室通に道を変える。金閣小学運動場という金網の傾いた広場を過ぎると、古びた家屋が道沿いに軒を連ね、あちこちで百日紅が白い花を咲かせている。バス停の時刻表の縁が錆びつき、町の掲示板に去年の火災予防運動のポスターが貼ってある。氷室通から一つ外れた筋に入ると、家々を縫って道は急に細くなり、山の入り口のようなところで舗装は尽き、雑木林に隠れて先が見えない草の生えた砂利の坂道になった。ここが金閣寺の裏である。金閣寺からはここは見えない。郵便夫のバイクがやって来て、坂を上がって行った。義満が手に入れた極楽浄土のような地の、一度焼かれた金閣寺の裏にも、人は住んでいる。郵便受けにその者の名前が記されている。来た道を自転車の車輪が勝手に転がっていく。風が顔を撫でる。英語の歌が耳に入ってくる。両手のブレーキを握り、スピードを緩める。アメイジング・グレイスという歌だ。漆喰壁の古い平屋の家の開いた窓からだった。家の横には日の当たる畑があり、畑にはトマトが赤く熟れ、里芋が面長なハートのような葉を広げていた。

 「(七月)廿三日 快晴。翁ハ雲口主ニテ宮ノ越ニ遊。予、病気故、不行。江戸ヘノ状認。鯉市・田平・川源ヘ也。」(「曾良旅日記」河合曾良芭蕉おくのほそ道付曾良旅日記奥細道菅菰抄』岩波文庫1979年)

 「南相馬市立総合病院で乳幼児の内部被ばく検査開始」(平成26年7月23日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)