あるものを探しに、四条通東急ハンズ、藤井大丸、高島屋に入り、エスカレーターを上ったり下ったりしたが、見つからなかった。軽い失意で外に出た。京都は、探していたものが何であるのか、どうでもよくなる暑さだった。横着して冷房の効いた場所を探したことが、見つからない原因かもしれなかった。帰りに三条会商店街を通った。堀川通から千本通を東西に貫く長いアーケードである。ある魚屋の入り口のガラスケースに、頬杖をついて老婆が座っていた。ガラスケースの中には、敷いた氷の上に平目が何尾かとマダコの足の何本かが並んでいた。そばでその息子らしい男と、その嫁らしい女が働いていた。息子は焼き上ったばかりの鰻の蒲焼を店頭の大皿に並べ、嫁は俎板の上で鯛をおろしていた。老婆は目の締まった銀鼠の麻のシャツに木賊色の木綿のスカート、生っちろい足に狐色の鼻緒の下駄を履いていた。やや渋い表情で通る人を見ている。夕の買い物にはまだ間のある時刻である。老婆はもしや、誰かを真似て、そうしているのではないか。そんな空想が頭をよぎる。先代の連れも、こん時刻には、ようこうしてガラスケースに頬杖ついておりましたがな。ようやくこうしていられるようになったが、気を緩めているわけではないという気概が、その顔の渋さなのだ。東急ハンズにも、藤井大丸にも、高島屋にもこのような店員はいない。

 「単純な昔の日本人は、木綿を用いぬとすれば麻布より他に、肌につけるものは持ち合わせていなかったのである。」(柳田國男「木綿以前の事」『柳田國男』 筑摩書房 ちくま日本文学全集 1993年)

 「「廃炉作業員」確保へ連携 北関東磐越5県、国に要請へ」(平成26年7月31日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)