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 千本今出川交差点で信号待ちをしていた時、本屋の店先にあった絵本の回転棚の黄色い三角屋根の上で、子どもが棚を回すたびこちらに向かってドラえもんが笑いながらバンザイをして見送ってくれていたのであるが、西陣の外れ、新町通上立売上ル安楽小路町に建っていたはずの高松伸設計の奇抜建築物は、すでに取り壊され、跡形もなかった。その同じ場所の地面には、味もそっけもない真新しい三階建の介護付有料老人ホームが建っていた。写真で見る限り、若き日の高松伸が描いた帯屋の社屋「織陣」のその建物は、人を喰ったような外観である。一棟は頭巾を被った鞍馬天狗の顔そっくりで、もう一棟は石と鉄で出来た、五右衛門風呂から頭と足を出している蛸の姿だった。何の変のないこの住宅地に、昨年一月末までは鞍馬天狗も茹で蛸も間違いなくあった。間に合わなかった老人ホームの前で、こう思うしかない。帰り道、西陣の日陰を歩いた。始まりが平安まで遡る織物の町である。木造の米屋のガラス戸の内で、ステテコダボシャツ姿の老人が、パイプ椅子に座り、電気カミソリで髭をあたっていた。老人が何か云い、前掛けをした老人よりふた回り若い男が、精米機から精米したての白米を両手で掬って匂いを嗅いだ。大同三年(808)十月八日左衛士坊、失火により百八十家焼失。斉衡二年(855)十月十八日山崎津頭失火、民家三百余焼失。仁和元年(885)二月八日左京一条衛士町失火、三百余戸延焼。十二月二十七日右京二条失火、二百余家延焼。延喜十四年(914)五月二日左京一条と二条大火、民家六百十七戸焼失。天延元年(973)四月二十四日強盗源満仲宅襲い、民家三百余家を焼き払う。寛弘八年(1011)十一月四日上東門南、陽明門北、帯刀町東、西洞院西に大火あり、七百余軒焼失。長和五年(1016)七月二十日近江守藤原惟憲宅(近衛南、万里小路東)より出火、土衛門南、京極西、万里小路東、二条南の間五百余家焼失。万寿四年(1027)一月三日御門富小路より出火、千余戸焼く。康和五年(1103)一月八日法成寺塔、京極御堂、六角府堂ほか人家など千余軒焼失。久安四年(1148)三月六日四条油小路より出火、六条堀川までの数千家焼失。仁平二年(1152)九月十日四条坊門北、油小路西より出火、六角南、西洞院西、錦小路北まで焼失。長寛元年(1162)二月十七日六角南、五条坊門北、町尻東西から、室町まで焼失。十二月十一日六角大宮より出火、西洞院三条の南、錦小路北まで焼失。承安二年(1172)六月二十五日六角南、烏丸西より出火、三条南、四条北、町尻東西、三条室町西南に及ぶ。治承元年(1177)四月二十八日樋口富小路より出火、勧学院大極殿、八省院以下百十余町焼亡(安元の大火、太郎焼亡)。治承二年(1178)三月二十四日七条高倉西より出火、朱雀南北五、六十町焼亡。四月二十四日七条北東洞院東より出火、北小路南辺、七条南東洞院西角、八条坊門朱雀大路まで焼亡(次郎焼亡)。元暦元年(1184)二月二日七条室町より出火、東西十余町焼亡。建保六年(1218)四月二十一日三条油小路より出火、百七十余町焼亡。正応二年(1289)二月十九日綾小路町より出火、六条に至る五十余町焼失。永享六年(1419)二月十四日六角室町より出火、南は七条坊門、西洞院より万里小路に至る東西六町南北十四町都合三百八十余町焼亡。長享元年(1487)十二月十一日京中大火、九町六百余軒焼亡。延徳元年(1489)五月八日上京西大路以南、室町以西、北小路以北が大火、延焼二千戸に及ぶ。天正元年(1573)四月二日信長、洛外百二十六カ所に火を放ち、九十余町を焼く。延宝元年(1673)五月八日関白鷹司房輔第より出火、禁裏以下、百余町、五千戸を焼く。延宝三年(1675)十月二十五日一条油小路より出火し、仮御所、本院御所焼失、公家第多く焼失、総計百十二町、二千数百戸に及ぶ。宝永五年(1708)三月八日油小路通姉小路通角より出火、四百九十七町、百余の寺社、一万四千軒余焼失(宝永の大火)。享保十五年(1730)六月二十日上立売通室町西入ル上立売町より出火、西陣百八町焼失。天明八年(1788)一月三十日団栗図子より出火、禁裏、二条城、三十七社、二百一寺、千四百二十四町延焼、三万六千七百九十七軒六万五千三百余世帯罹災(天明の大火)。安政元年(1854)四月六日内裏炎上、西は千本、北は今出川、南は下立売まで焼亡、焼失町数は百九十、寺社二十四、家数五千軒を超える。元治元年(1864)七月十九日長州・幕府戦(蛤御門の変)洛中兵火八百十一町焼失、竈数二万七千五百十三軒、土蔵千三百七ヵ所、宮門跡方三ヵ所、寺社二百三ヵ所、塔頭九十七ヵ所、芝居二ヵ所、橋数四十一ヵ所に及ぶ(鉄砲焼)。夜、『京都の歴史』(學藝書林刊)の年表の巻を拾い読みした。応仁・文明の乱を除いても凄まじい火事の歴史である。西陣のあちこちに軒を連ねる町屋の玄関先に、水を張った赤い消火バケツが一つ二つ必ず置いてあった。火事の恐ろしさが骨身に沁みている町の証しである。三軒町西中筋町、毘沙門町弾正町飛弾殿町榎町、南俵町菊屋町亀屋町いづかたも火迺要慎。

 「カフカは、経験というものの揺れ動く性質について、涯しなく考え耽っている。」(「フランツ・カフカヴァルター・ベンヤミン 野村修編訳『ベンヤミンの仕事2』岩波文庫1994年)

 「中間貯蔵受け入れへ 知事と2町長、25日にも会談」(平成26年8月23日 福島民友ニュース・minyu―net掲載)