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 ヴィム・ヴェンダースの映画『ベルリン・天使の詩』の主人公の中年男の天使が、人間に憧れて人間になり、サーカスのブランコ乗りの娘に恋をしたことで死ぬというところがつまらないと思った。天使が人間になり、永遠の命が永遠でなくなることはかまわない。人間である以上当然のことである。たとえば、天使が人間になる時、見ず知らずの人間がひとり、与り知らぬところでひっそりと死ぬという条件をつけられたとしたら、果たして主人公の天使は人間になろうとしたかどうか。豊臣秀吉が入洛して出来た、天使突抜(てんしつきぬけ)通という通りがある。東西を西洞院通油小路通に挟まれた、南北が木津屋橋通から仏光寺通までの一キロ半ほどの通りである。その間の六条通から松原通にかけて、天使突抜一丁目から四丁目がある。目にしたら忘れることの出来ない通り名町の名である。一方通行の狭い通りの左右に、昭和三四十年代の二階建家屋がひっそり立ち並んでいる。天使突抜一丁目の住宅案内図を引き写せば、北から橋本さん、初田さん、原田さん、筒井さん、望月さん、北嶋さん、稲田さん、堀内さん、長塩さん、藤田さん、山下さん、堀さん、乾さん、北見さん、木村さん、大澤さん、馬場さん、石川さん他が住み、天使突抜三丁目には蟹江さん、高嶋さん、杉本さん、北出さん、上田さん、野玉さん、森下さん、寺村さん、長野さん、四宮さん、猪川さん、安井さん、野村さん、芝原さん他が住んでいる。通りを半分歩いて来ても人に会わない。歯抜けのような駐車場が、ここでも辺りを寒々とさせている。上がっていた雨が落ちてきて、仕舞っていた折り畳み傘を広げると、目の先に杖と傘をついた老人が立っていて、覚束ない動作で杖を頼りにどうにか黒い傘を広げ、刈り上げた頭の上に掲げた。くすんだ灰色のペラペラの長袖シャツとズボンを履き、すれ違った時、顔の鼻の両方の穴から鼻水を垂らしていた。通りを抜けるまで、その老人の外に、人と会わなかった。『ベルリン・天使の詩』の主人公の天使は、人間となって死んでしまうのではなく、自分が人間になったことで恋をしたサーカスのブランコ乗りの娘が死に、人間になったことを悔いつつ、みっともない生き方を選んで欲しいと思った。たとえばいま天使突抜通ですれ違った、鼻水を垂らした足元の覚束ない老人のような。

 「役割がこういうふうに割り当てられたのはまったく意外なことだった。」(「ヴァン・ヴェルデ兄弟の絵画」サミュエル・ベケット 岩崎力訳『詩評論小品』白水社1972年)

 「あんぽ柿「加工再開モデル」61地区に拡大、生産量回復」(平成26年9月4日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)