演出家佐々木昭一郎が二十年振りに作品を発表した。『ミンヨン 倍音の法則』という映画である。映画の監督は初めてであるという。二十年の間、佐々木昭一郎は作品を発表しなかった。「留守と言へ」ということだったのか。二十年経ったら帰って来る。1976年の秋、佐々木昭一郎演出のNHKドラマ『紅い花』を観た。目を奪われたのである。そこには先回りした懐かしさがあった。演出の手際に自由があった。懐かしさも自由も表面の上のことである。佐々木昭一郎の、表現する喜びに心を揺さぶられたのである。『紅い花』のテーマ音楽に、ドノヴァンの『リバーソング』が使われていた。「Oh、the rivers flow、so old.」というフレーズが間延びしたインディアンの呪文のように繰り返される曲だった。御池大橋から鴨川べりを歩いた。流れは、子どもが踏み石で渡れるほどの水嵩である。寝そべる者がいて、本を読む者がいて、並んで語る者がいる。歩く者がいて、走る者がいて、ものを食う者がいて、犬を散歩させる者がいる。ギターを弾く者がいて、ラッパを吹く者がいる。変哲なくカメラを構えれば、鴨川の岸辺はこのように写る。出雲阿国が河原の芝居小屋でかぶき踊りを披露したり、石川五右衛門が釜茹の刑にされたり、石田三成が晒し首にされたり、近藤勇の首が晒されたりしたことは、このままではカメラに写らない。そうされた者がいて、そうされなかった者がいたことは写らない。そうした者がいて、そうしなかった者がいたことも写し出すことは出来ない。賀茂大橋辺りまで上って来ると、ビル建物が目立たなくなり、両岸の桜並木の緑が映えて来る。賀茂大橋を潜り、下鴨でふた手に分かれた西の賀茂川は川幅が狭まり、鴨川とは別の顔になる。流れで云えば、西の賀茂川と東の高野川が下鴨を経て、鴨川となるのであるが。木蔭で若者がジャグリングの練習をしている。七つ八つの白い球を空中に放ち続ける、そうする者がいて、そうしないで見ている者がいる。いまはそのどちらもカメラに写すことが出来る。土手を上がり、北大路通に出る。比叡山に、西に動いた日の光が当たっていた。侯孝賢は映画『戀戀風塵』で、日の当たる山の上を這って行く雲の影を撮っていた。幼馴染みに心変わりされ、兵役から戻った孫に祖父が、今年は芋の出来が悪いと云って辺りの山を見回し、『戀戀風塵』は終わる。そこで登場人物の人生の流れが途切れるわけでも、古くなるわけでもない。

 「だが、可視の空間と接触する実践のたびに形成される充実感以上のことは、語れないのである。」(多木浩二『写真の誘惑』岩波書店1990年)

 「廃炉研究施設が着工 楢葉技術開発センター」(平成26年9月27日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)