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 堀川に架かる一條戻橋は、元禄三年(1690)刊の『名所都鳥』に「一條堀川の橋也。」と載り、安永九年(1780)刊の『都名所図会』には「一條通堀川の上にあり。」と載っている。鎌倉中期の作といわれる『撰集抄』の巻七の五に「浄蔵、善宰相のまさしき八男ぞかし。それに八坂の塔のゆがめをなほし、父の宰相の此世の縁つきてさり給ひしに、一條の橋のもとに行きあひ侍りて、しばらく觀法して蘇生したてまつられけるこそ、つたへ聞くにもありがたく侍れ。さて、その一條の橋をば戻り橋といへる、宰相のよみがへる故に名づけて侍り。」と橋の由来が記されていて、『名所都鳥』も『都名所図会』も息子浄蔵の祈禱による善宰相、三善清行の生き返りをその由来として記している。三善清行は文章博士の官職となった昌泰三年(900)、その前年に右大臣となった菅原道真に身の退きを促した人物である。文章博士はかつて菅原道真の就いた職である。菅原道真は三善清行の進言を聞き入れず、翌年左大臣藤原時平の讒言で太宰権帥に左遷され、その二年後に世を去る。三善清行は後に藤原時平編纂の『延喜式格』の編集にも加わる大人物である。息子の三善浄蔵も、延喜九年(909)病に伏す藤原時平を祈禱し、その耳から菅原道真の霊を呼び出したという大物祈禱師である。それまでついていた某という橋の名が、この大物父子の奇談によって戻橋と変えられ、一條戻橋は千年を過ぎた今日までその奇談を纏ったまま、千利休の首が晒されたりといったエピソードを添えられ、堀川に架かっている。1988年に放送したNHKドラマ『もどり橋』は、この橋に材を採っていた。橋の上で事故死した父の姿に変身した少年が、担任の教師と交わした結婚の約束を果たせずに終わる話だった。少年は橋の上で父の姿に変身することが出来るのだが、その橋が一夜にして取り壊されしまうのだ。話を経た少年は架け替えられた新しい橋の上を、スキップをしながら渡って行った。『都名所図会』に、一條戻橋の挿絵が載っている。橋は、墨染の坊主と羽織を靡かせる町人が二三歩で渡り終えるほどの大きさに、欄干もか細く描かれ、袂の茶屋が川面にせり出し、窓の縁には盆栽が並び、内で煙管と扇子を持った客が何やら話をしている長閑な図である。その西詰の茶屋の位置に、いまは賃貸マンションが建っている。百万遍知恩寺の古本市へ行った帰りに、一條戻橋を渡った。六七歩で渡り終えて仕舞う小橋である。下の堀川の水は帯四五本の流れである。子供時代に鳩を飼っていた。四五羽に、小屋で孵った鳩も交っていた。初めて鳩を小屋から出して空に飛ばした時、たまたまやって来た鳩の群の中にどの鳩も紛れ込み、そのまま戻って来なかった。しばらく経って小屋を壊した。それから何度か空を旋回する鳩を見たが、飼っていた鳩かどうか分からなかった。

 「だれでも、まったく思いがけずに、異常なものの出現に出会うことがあるものだ。」(ポール・ニザン 篠田浩一郎訳『アデン アラビア』晶文社1966年)

 「住宅除染完了52.7% 35市町村、9月末現在の実施状況」(平成26年11月2日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)