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 「外出の時間が来ると、お前は固い棒が三つ放射形に開いた帽子を被る。この道具立ての下で、お前の柔らかな頭蓋骨は水圧機のように働いて、このピストンに動力を送る。こうして天井は外れ、はねのけられるのだ。雛の打撃用の疣は、殻が割れてしまえばなくなる。それと同じにお前のボーリング用の三角帽子は消えて失くなるのだ。外へ出られるように蓋が開くと、お前はシャッポを脱いで、帽子とその三角形の仕掛けにさよならを言う。」(ジャン=アンリ・カジミール・ファーブル 山田吉彦・林達夫訳『完訳ファーブル昆虫記』岩波書店) その虫は忽然と現れた。濡れ縁の高さが大人の背丈ほどもある西本願寺の御影堂は、他力本願悪人正機親鸞の木像を祀っている国宝の大伽藍である。濡れ縁の下の柱に、昼の日の光が当たっていた。虫はただ一匹でその光の中に現れた。その虫は西洋の盾のような生壁色の背中に、カナリア色の星粒を散りばめ、そのふちと六本の肢を同じカナリア色の縞に塗っていた。突き出た頭の先の触角は疑り深く、浮き出た柱の木目に沿って僅かに上に進み、柱の角を巡り、また木目に沿って頭を逆さまに下りるように僅かに進んだ。虫は緩慢に、慎重に歩を進めるのだが、光の射さない柱の裏側には入っていかない。鳴き声も漏らさず、進むよりも遥かに長く同じところに留まれば、その場所が、その虫の行く先なのかもしれなかった。その場所は、その虫の世界でも、この世界と同じ濡れ縁の下の柱に光が当たっているこの場所である。濡れ縁の上を、襟に本願寺念佛奉仕団と染め抜いた法被を割烹着の上に羽織った婦人たちが、のんびりした足取りで行ったり来たりしていた。本願寺はこの地に至るまで、世界を何度も彷徨っていた。京都大谷、近江堅田、越前吉崎、河内出口、京都山科、大坂石山、紀伊鷺森、和泉貝塚、大坂天満、京都堀川六条。関わったのは延暦寺織田信長豊臣秀吉である。その虫は、吉崎でも山科でも石山でも血腥い争い事を余所に、堂の濡れ縁の下の日の当たる柱に同じように現れていたかもしれない。その上(かみ)も今も、その虫の王国とこの世界は、寸の狂いもなくぴったり重なっているはずであるから。国宝飛雲閣を、仕切り塀を潜って目にした。手前に青みどろの池があり、石橋と木橋の二つの橋が架かっていたが、渡ることは許されなかった。境内の端で催している菊花展の厚物には参拝の誰も足を向けなかった。御影堂門の傍らの棚の日本語の案内パンフレットだけが空になっていた。英語中国語ハングル語のパンフレットはぎっしり詰まっていた。カメラを首から下げた中年の女が、手に取ったハングル語のパンフレットを空いている棚に差し戻した。パンフレットの表は青空を背後にした御影堂だった。御影堂の薄暗い奥の間の襖の、梅にも松にも雪が積もっていた。

 「自然につながる臍帯がまだいくらか残っているためだろうか、土地の人たちは明暗の対照をきわだたせることに関心をもっていない。」(アイザック・ディネーセン 横山貞子訳『アフリカの日々』晶文社1981年)

 「復興相「極めて困難」 中間貯蔵1月搬入、目標断念の公算」(平成26年11月8日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)