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 太陽を巡る地球の巡りは気紛れではないが、小春日和が一年に幾日あるかは分からない。「小春。小春日、小六月。 [初学記]十月は天時和暖、春に似たり。ゆゑに小春日といふ。」(曲亭馬琴編・藍亭青藍補『増補俳諧歳時記栞草』嘉永四年刊) 芭蕉の小春の句は、五十年の生涯で一句のみである。月の鏡小春にみるや目正月。鏡のような月を小春の夜に見て目出度い、の意味であろうが、芭蕉二十三才のこの句の値打ちはない。蕪村は二句残している。小春凪真帆も七合五勺かな。古家のゆがみを直す小春かな。小春凪の句は小春日和を味わい、古家の句は農繁期を終えたゆとりが伝わって来るが、それほど小春は心に響かない。小春日に吾子の睫毛の影頬に 篠原梵。今宮神社にある月読社の石段を上がると、今宮通の坂の途中の今宮幼稚園の教室の前に出た。中で、園児がばらばらの声で同じ歌を歌っていた。小春の日の光が、園児の開いた口の中まで射し込んでいた。境内に下りれば、園児らの声は天から聞こえて来る声だった。境内は朱塗りの楼門を正面に、社が大きく樹々に囲まれていた。今宮神社は十の社殿にそれぞれ、大己貴命(オオナムチノミコト)事代主命コトシロヌシノミコト)、奇稲田姫命クシナダヒメノミコト)、素盞鳴命(スサノヲノミコト)、栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメノミコト)、誉田別尊(ホンダワケノミコト)、息長帯姫命(オサナガタラシヒメノミコト)、日本武尊ヤマトタケルノミコト)、底筒男命(トコヅツノヲノミコト)、中筒男命(ナカヅツノヲノミコト)、表筒男命(ウワヅツノヲノミコト)、伊波比主尊(イハイヌシノミコト)、石凝姥命イシコリドメノミコト)、建御名方命タケミナカタノミコト)、八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)、牛頭天王(ゴズテンノウ)、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)、天之菩卑能命アメノホヒノミコト)、天津日子根命アマツヒコネノミコト)、活津日子根命イクツヒコネノミコト)、能野久須昆命(クマノクスビノミコト)、多紀理昆売命(タギリビメノミコト)、市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)、多岐都比売命タギツヒメノミコト)、大山咋神(オオヤマクイノカミ)、大物主神(オオモノヌシノカミ)、宇迦御魂命(ウガノミタマノミコト)、倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)、猿田彦大神サルタヒコノオオカミ)、月読尊(ツキヨミノミコト)を祀っている。樹々に響く園児らの歌声を神々の声として聞けば、このあまたの神の振舞いに別の思いを及ぼすことが出来るかもしれない。月読社の下に絵馬舎があった。中に絵馬は無く、演目を書いた奉納額が並んでいた。「翁 雨月 弱法師 大原御幸 鉢木 絃上 祝言。願主 種田星友社中。大正三年六月」 大正三年、1914年の六月、サラエボオーストリアのフランツ・フェルディナント大公夫婦がセルビアの青年ガヴリロ・プリンツィプによって暗殺された月である。それから瞬く間に第一次世界大戦の火が燃え広がったのである。京都の片隅では「雨月」が、「弱法師」が種田星友社中によって演じられていた。色づいたモミジを選んで、その下で母娘が写真を撮っていた。その七十半ばと五十手前の母娘とは、境内を出た茶屋でも一緒になり、大徳寺でも行き会った。茶屋で竹串に刺して焼いたあぶり餅を食った。母娘は柱の陰で、物静かに同じものを食っていた。大徳寺は門の中に門があり、塀の中に塀があった。矩形の石を組み合わせた石畳と立ち並ぶ松の木は、盤上の勝負のように考え抜かれた息苦しさで、歩く者はその臨済宗の一手一手の意味を考えなければならなかった。日の当たる築地塀のひと所に、土壁の地が現れている崩れがあった。土壁には藁が混じっていた。綻びは禅の一手ではない。それはありふれたただの一光景である。十一月の日を浴びたその藁の切れ端は暖かかった。

 「分析は一種の内面生活に純一なることによつて徹底的となるのである。」(「思索と體驗」西田幾多郎西田幾多郎全集第一巻』岩波書店1965年)

 「パネル2枚目取り外し、第1原発、飛散防止効果確認へ」(平成26年11月11日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)