朝日新聞デジタルは戸村登の名で、終い弘法の記事を載せている。「京都南区の東寺で21日、今年最後の縁日となる「終(しま)い弘法」が開かれた。境内には、正月の食材や縁起物などを売る約1、200軒もの露店が軒を連ね、大勢の買い物客でにぎわった。東寺では、寺ゆかりの弘法大師の月命日の21日に「弘法さん」という縁日が開かれている。一年を締めくくる「終い弘法」は、とりわけ大勢の人たちが訪れる。今年は日曜日の開催になった上、好天に恵まれ、例年の1.5倍以上の人出になったという。」「例年の1.5倍以上の人出」としている参拝者の数は、例年を知らぬ者には分からない。読売テレビ・ytvは、「迎春準備のために訪れた10万人以上の買い物客でにぎわっている。」と、「大勢の買い物客のにぎわ」いを具体的な数字で伝えている。京都新聞は、「好天」のこの日を、「京都地方気象台によると、この日は最低・最高気温とも平年並みで、晴れから薄曇りの買い物日和となった。」と、気象台経由の天候を伝え、京都民報webは天気と露店の数を、「今日はちょうど冬至にあたり、京の街は朝から底冷えで空模様も曇りがちでしたが、約1,100店が立ち並んだ境内は大勢の人で活気づいていました。」としていて、朝日新聞とも京都新聞とも食い違っている。その京都民報webは舌足らずなレポートを、こう続けている。「植木や古着、骨董品や道具、古本などの露天も毎月お目にかかる店もありますが、12月はやはり正月用品の出店が多く、数の子、昆布、干し柿、棒鱈、ごまめ、百合根、乾し椎茸などお節料理の食材と松竹梅や奇麗なポインセチアの鉢植、万両、千両、南天、葉ボタン、若松、高野槇、注連縄などの縁起物を買い求める人が多いようです。」それ以外の露店の品々を並べれば、瀬戸物、置物、絵、軸、手芸品、手提げ鞄、冬物衣料、下着、染め布、端布、帽子、風呂敷、履物、日用雑貨、暦、竹細工、箸、アクセサリー、櫛簪、新巻鮭、栗、豆、慈姑、山芋、蜜柑、漬物、裂きイカ、金平糖、カステラ、あられ、ちりめん山椒、竹の子焼、どて焼、焼きそば、おでん。冷えた空気に、線香と食い物のにおいが混じっていた。堂の傍らの、テントの下の護摩木の配布所の者がひとり、真っ直ぐ虚空を見ていた。読売テレビ・ytvは、「終い弘法は21日午後4時半まで開かれており、京都の街は一気に年越しムードに包まれる。」と、記事を結んでいた。不開門から参拝の列に加わり、身動きのままならぬ十万人のぞろぞろ歩きにつき従い、干し柿の露店で足を止め、試食の干し柿の切れ端を食った。柿の風味も何の味もしなかった。干し柿丹波の産であるという。干し柿を口にしたのは数十年振りであるが、子ども時代に食った干し柿とはまったく別の物だった。生まれ過ごした福島の伊達にはあんぽ柿という干し柿があった。実家の二階の軒下に、いま頃の時期干し柿が吊るしてあった。あんぽ柿は、干す前に硫黄で燻蒸するのであるが、実家では渋柿の皮を剥いて干しただけのものだった。JA全農福島は、あんぽ柿をこう書いている。「福島県の特産品である「あんぽ柿」は、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により、生産地である伊達地方において加工を自粛していますが、昨年に引き続き、加工再開モデル地区を設置し、安全な原料を使用して加工に取り組み、製品については全量非破壊検査を実施し、安全な「あんぽ柿」の生産・出荷をします。」明らかな断絶が、ここにはある。実家の庭先にあった柿の木は、いまはない。子ども時代に食った干し柿は、白く粉のふいた皮が固く、舌にざらつくくどい甘さがあった。チョコレートや生クリームの味を覚えた口には、持て余す味だった。干し柿には見向きもしなくなり、その味は彼方に忘れ去られた。東寺の、終い弘法の露店の干し柿を口にして、あの味を出来事のように思い出した。しかし、思い出の味は疑ったほうがいいのである。新たに柿の木を庭先に植え、実った柿の実の皮を剥き、いまの冬日に干したところで、あの柿の木の干し柿の味は永遠に失われた味であるのであるから。

 「急がないこと。手をつかって仕事をすること。そして、日々のたのしみを、一本の自分の木と共にすること。」(「贈りもの」長田弘深呼吸の必要晶文社1984年)

 「災害対策の重点区域30キロ圏 福島第1、他原発と同様」(平成26年12月23日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)