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 妙心寺の塔頭退蔵院の方丈の白壁に、如拙の国宝「瓢鮎図」の模本コピーがカレンダーの最後の一枚のように貼ってある。所蔵物であった実物の「瓢鮎図」は、京都国立博物館の収蔵庫に眠っているという。家々の居間に下げた新年カレンダーの一月は、雪景色かもしれない。二月が「瓢鮎図」であっても、誰も偽物だとは思わない。「瓢鮎図」の、瓢箪で鮎(ナマズ)を捕まえるという題は、足利四代将軍義持が出したものであるという。如拙はその問いを、問いのままの容(かたち)で描いた。瓢箪で鯰を捕まえるという問いが公案であるとすれば、川べりで瓢箪を持った男はいつまでも瓢箪を両手に持ち、川の鯰はいつまでも川の中である、とするのが如拙の応えである。山川蟬夫高柳重信に、さびしさよ馬を見に来て馬を見る、という句がある。塀に沿って歩くために妙心寺に来て、塀に沿って歩き、塀に沿って道を曲がった。墨染白足袋姿の早歩きの僧侶に、後ろから追い抜かれた。僧侶は手に、洋菓子屋の紙袋をぶら下げていた。塔頭大心院の内から子どもの声がした。ひとりの子の声はこうだ。「もういいかい」 どうやって瓢箪で鯰を生け捕りにするかという野暮ったい公案を一蹴するように、永田耕衣はこう詠んでいる。圧えた鯰と共に笑う身の節々。

 「関係性という概念(二という概念)は欠如しており、なにごとも起こりうる(一という概念)。「間違い」ということは的はずれである。というのは、いったんなにかが起こるのであれば、それは起こるべくして起こっているからである。」(ジョン・ケージ 柿沼敏江訳『サイレンス』水声社1996年)

 「住宅除染完了59.9% 36市町村の実施状況・11月末現在」(平成26年12月30日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)