絵双六(えすごろく)に、振り出しに戻るという指示がある。振って出たサイコロの目が五で、五つ進んでも、進んだ先で三つ戻るという指示があれば、その者は三つ戻らなければならない。漫画雑誌の新年号に、絵双六の付録がついていた。新年元日の新聞の折り込みチラシにも、絵双六まがいのものが入っていた。貧しい少年が、上がりで家や車を手に入れるのである。映画の主人公は、女をあるいは何かを手に入れるため、目の前の差し迫った問題を解決するために命懸けとなる。話が上がり、何も手に入らず、思う通りの解決に至らなかったとしても、主人公はそれまで一度も出来なかったチューインガムを膨らますことが出来る何者かになっている。正月十一日の都道府県対抗女子駅伝のスタートは、西京極競技場だった。その第三中継所になっていた河原町丸太町交差点西のガソリンスタンドに駐まったバスから、運動着姿の選手たちが降りて来るのに行き会った。すでに着いていた者は、白い息を吐きながら歩道を走っていた。次の中継所まで彼女らは、サイコロの目で動くわけではなかった。交通規制の看板が、辻に立つ警察官の傍らで横になっていた。駒を進めた都ホテルの前で三条通に代わる東海道に沿って、斜面に線路が敷かれていた。上と下を流れる琵琶湖疏水の間を繋いだ運搬レールだった。その敷石の上を、人がそぞろに歩いていた。トラブルで止まった電車から降ろされた乗客ならば、歩いて次の駅に進むか、振り出しの駅に戻らなければならないが、そぞろ歩く者らには、戻る駅も進む駅もない。東海道で山あいをくねるように抜けると、御陵(みささぎ)の町が現れて来る。御陵は、天智天皇山科陵のことである。天智天皇舒明天皇の子。中臣鎌足と謀り、蘇我入鹿を殺した男。朝鮮半島白村江の戦いで唐と新羅に敗れた戦争指導者。防人(さきもり)の生みの親。参道はただ真っ直ぐで、両側に樹が植わり、行き止まりの二重の柵の内に白い鳥居が立っていた。奥はこんもりとした変のない樹林だった。「御廟野は、日岡の東をいふ。天智天皇の御廟なり。むかしは野中にありしゆゑ、往来の人馬駕より下り、拝をなし通りける。余り里ぢかく路の傍らなれば、恐れ多いとて上なる山にうつし奉りぬ。」(『都名所図会』)上なる山に移った陵に、人馬の姿はなく、鳥の声もしなかった。柵の前の何もない地面は、何もないことで何もさせないことを人にも鳥にも強いていた。天の川のもとに天智天皇と虚子と 高濱虚子。この句の意味を知るには、天の川が現れる夜を待たねばならない。夜は、太陽が振り出しに帰った後にやって来る。

 「夜。ムーミン谷の夏の夜は白夜で、うっすらとあかるく、短い。そのころ、スナフキンは、よくひとりで夜の散歩をする。」(高橋静男・渡部翠他編『ムーミン童話の百科事典』講談社1996年)

 「“放射線不安”対応探る 環境省・県が専門家意見交換会」(平成27年1月13日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)