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 落語の「初天神」で口の聡い子ども、キン坊は、親の弱味につけ込み、拒んだ父親に初天神に連れて行って貰えることになる。キン坊は父親との約束通り、物を買って欲しいとねだらないでいたが、約束を守ったのだから何か買って欲しいと父親に云う。父親は、蜜柑林檎は毒だと云い、買った蜜団子の蜜を舐め尽くした挙句、店の蜜壺にその団子の串を漬けて渡したり、飴を選びながら触った指を舐め、買い与えた一つの飴を勿体ないから歯で噛むんじゃないと釘を刺す。最後に買った凧を天神裏の原っぱで揚げると、父親が夢中になって、これは子どものする遊びじゃない、とキン坊に凧を渡さない。こんなことなら父ちゃんを連れて来るんじゃなかった、とキン坊が云い、話が下がる。落語の咄家は、マクラを振って話に入る。落語にキレというものがあるとすれば、マクラと話のキワがそれに当る。キワに継ぎ目があってはならない。話のスジに触れたマクラは、キレが鈍くなる。マクラからぐるりと話へ転じる、というのでもない。マクラからそのまま話へと流れていく、というのでもない。ひとつ息継ぎがあり、そこで空気が入れ替わる。その入れ替わりのキワの語り口が、キレ味である。落語の花が話のスジやオチでないことは、云うまでもない。「子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。桜桃が出た。私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかも知れない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚の首飾りのように見えるだろう。」太宰治は、このように親子を書いた。短編「桜桃」は、昭和二十三年の「世界」五月号に発表され、同年の六月十三日、太宰治は心中死する。正月二十五日が、北野天満宮初天神だった。夕に日が傾き、参拝客の足元で骨董屋が茶碗やら皿やらを荒っぽく古新聞に包み、仕舞いに掛っていた。物を愛(いと)おしむような態度を微塵も見せないところに、露天商のキレがあった。境内の白梅が二、三花をつけていた。探梅という季語表現は梅の花にしかない。

 「或いは、其の途以外の一切が見えない、といった方が本当かも知れぬ。」(「悟浄歎異」中島敦中島敦全集2』ちくま文庫1993年)

 「国推計値の1/3 南相馬・子どもの外部被ばく」(平成27年1月28日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)