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 百日紅釈迦の阿難のわれ彳(た)つも 下村槐太。「この句は、他のすべての傑作の例に洩れず、詞書、ひいては作者の「私」から一切無縁の次元に置いても、否置くことによつて、なほただならぬ光彩を放つ。「釈迦の阿難のわれ」かく言ひ淀みつつ言ひ切つた作者の心と俳句なる詩型は、まさに表裏一體至妙の結合を示す。劇しい苦味と一抹の甘味、黑一色の世界に繁吹(しぶ)く淡紅、體言切初五のその紅を阿難の頬に刷き、「われ彳つも」の「も」に壯年のわれは蹉跎として立ちかねてゐる。失踪者悉達多のなれの果ての釈迦、他者にして卽自己なるこの謎を秘めた人物の孤影に、晚涼の薄ら汗はにほひ、螺髪卽蓬髪に凍つた花火が雫りかかる。」(塚本邦雄『百句燦燦』講談社1974年)釈迦の侍者阿難は、釈迦の死のその時、他の弟子たちの前で気絶した。涅槃図にもそのように描かれている。涅槃図は悲嘆の絵である。北枕で横たわる釈迦を、弟子や菩薩らが取り囲み、獅子象獣や虫が地に集い、釈迦を生んで七日で死んだ母親が雲の上から下界に目を落としている。満月が中天を照らし、立ち並ぶ八本の沙羅双樹の内の四本が枯れ、四本が白い花を咲かせている。二月十四日、知恩院法然上人御堂で涅槃会法要をやっていた。釈迦の入滅は、旧暦二月十五日である。涅槃図の前で、居並ぶ僧侶が釈迦の最後の説教遺教経を唱和する中、時折腰を浮かし唱する門主の衣の裾を門主が尻に敷かぬよう、後ろに控えた二人の弟子坊主が、その都度手で摘まんで引き伸ばした。堂内は外より寒かった。孫のような子どもを連れた老婆がやって来て焼香し、手を合わせていると、その二つ三つの子どもが竹の仕切りを越え、僧のいる中に入った。気づいた老婆が慌てて子どもの両脇を抱え、仕切りの外に引き戻した。子どもは涅槃図の獅子のように、畳の上に仰向けになった。子どもは、涅槃図の中の獣の姿を目ざとく見つけたのかもしれない。もし老婆が引き戻さなければ、子どもは涅槃図の、釈迦の死の悲嘆に加わることも出来たのである。おねはんに行く枯生の中で口があく 瀧井孝作。口を開けたのは、人間とはかぎらない。

 「時間は継続することを止めて、過ぎ去ったものに再び戻る。初めにそうであったように、過去と未来とが、ついに和解して現在となる。」(オクタビオ・パス 高山智博・熊谷明子訳『孤独の迷宮』法政大学出版部1982年)

 「伊達・富成1177人が3月6日申し立て 東電に賠償求め」(平27年2月22日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)