その老人は欄干に凭れ、あらぬ方に目を遣っていた。大覚寺を半廻りして流れ来る有栖川(ありすがわ)に架かる大沢橋の橋の上である。母親とその二人の子どもと思しき親子が、橋の上から螢の姿を探していた。人の背丈よりも下を流れる川の両岸は、しな垂れた草の茎に覆われ、橋の上を照らす明りも届かず、本当の川幅はわからない。流れの先にある一条通の一本木橋の明りまで、川に沿った細道に明りはない。二つの橋の間には北嵯峨高校の校舎が建ち、川向うは、苗を植えて間もない、水を張った田圃である。田圃の水面に、月の出にまだ間のある、雲の浮かぶ夜の空が映っている。田圃の尽きるところに、人の住む明りが点々と灯っている。北嵯峨高校の校門の陰から、松葉杖をついた坊主頭の高校生が現れる。背後の校舎の、どの教室の窓にも明りはない。高校生は影のように川の細道を、一条通の明りの方へ覚束ない歩みで近づいて行く。高校生のほかには、細道を行く者も来る者もいない。高校生が傍らを過ぎた、一本木橋の袂の叢に停めた車の座席の若い男の半面が、携帯電話の明りに照らされている。死螢に照らしをかける螢かな 永田耕衣。螢は尻の光で、息絶えた螢を照らしている自覚はない。死んだ螢は、我が身を螢に照らされていることを知らない。大沢橋の上にいた親子は螢の光を見つけ、指をさした。螢は一匹草の葉の上で光り、一匹宙を飛びながら、何度か光で短い弧を描いた。橋の上の老人は、あらぬ方を見ていた。あらぬ方にも、光はあった。

 「わかばの奥というとたいへん深い林のように見えるが、深くはなく、ほんの五六本の柿と欅の枝がかさなり合っているに過ぎないのに、それが空あかりの関係から奥があり、奥は深くそよいで見えていた。」(「詩のあわれ」室生犀星『随筆女ひと』新潮文庫1958年)

 「17年前半に工法決定へ 1~3号機、溶解燃料取り出し」(平成27年6月13日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)