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 下鴨神社糺ノ森に並べ置かれた本の数は、八十万冊であるという。納涼と銘打った古本まつりである。五月の葵祭流鏑馬で馬が駆け抜ける馬場の両側に、書棚を据えたテントが闇市のように並ぶ。頭上で蟬が鳴きしきり、日照りで散った落葉が混じる地面の砂は前夜の雨で湿り、テントの裏で焚く蚊取り線香の煙が書棚の間に漂っている。蒸し暑い木漏れ日の下で、人は時に、地を這う木の根に足を取られながら棚の本の背を見て回る。一冊二百円三冊五百円と大書きしたベニヤ板の台の上の、車谷長吉の小説『赤目四十八瀧心中未遂』が目に留まる。私(わたくし)小説家車谷長吉は、酒のつまみのスルメを喉に詰まらせ、本年五月にこの世を去った。手に取り、頁を開くと、ところどころに鉛筆の丸の囲みの印がある。丸の囲みは他の頁にもあり、それは地の文にある同じ一つの言葉だけを選んでいる。その言葉は「併(しか)し」という接続詞である。丸の囲みは頁を繰る度に頁の面に現れ、その数に、ただならぬ気配がある。はじめに戻り、数えてみれば、丸で囲まれた「併し」の数は百九十五である。この数は明らかに、車谷長吉の文の骨柄を表わしている。最後の頁に、この丸印を付けた者の書き込みがある。「一般論の後ろから自己都合を接着」口の中で「併し」を百九十五回唱えている間に、左の二の腕を蚊に喰われている。夏目漱石全集を蟻が走り、マティスの画集の上に、足の長い土色の虫がよじ登る。七十を越えた年恰好の男が、店の者に、「鉄道ピクトリアル」の73号を捜している、と訴えている。男の顔は真剣で、最新号が907号で、73号だけがないと云う。この世には、この男の住む「鉄道ピクトリアル」の73号のない世界があり、「鉄道ピクトリアル」がその1号から907号まで揃ったまだ見ぬ世界があるのである。併しこの世には、それ以外の世界も存在する。「鉄道ピクトリアル」なるものが一冊もない世界である。馬場の東側のテントの後ろを流れる小川に、子どもらが素足を浸している。この子どもらは、会場の外れで始まった絵本の読み聞かせに集わなかった者らである。小川の清冽な水は、恐らくは他に代え難く、素足の指の股をくすぐって已まない。

 「混沌の美は一面に於ては懐疑的な深さの美であるし、また不調和、無統一をそれ自身がより大きな調和のほんの断片として感じて、認めるやうな、さういふ人生観的な根拠によつて成り立つたものと見ることが出来る。」(「散文精神の発生」佐藤春夫『退屈読本』冨山房百科文庫1978年)

 「音楽と芸術で❝元気発信❞ FUKUSHIMA!納涼!盆踊り」(平成27年8月16日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)