西本願寺裏の寺の門脇に、「ないことで苦しみ、あることで苦しむ」と書いた白い紙が貼ってある。紙の文句は日毎(ごと)、あるいは週毎、月毎に代わるのかもしれない。この文句は、「あることで喜び、ないことで喜ぶ」と変えたとしても、何も云ったことにはならないし、何も云っていないと同じことである。但し、小学の子どもが「ないことで苦しみ、あることで苦しむ。」と学習ノートに書けば、何事かを云ったことになるかもしれない。「色即是空、空即是色。あることはないこと、ないことはあること。」とその横に並べていれば、大人は驚くだろう。滑り台を滑る子どもは、地面にいる時、何も持っていない。後ろの梯子に足を掛け、一段ずつ登るたびに、子どもは高さを得る。その重力に逆らう行為は、肉体の苦痛である。頂上の高さを得た子どもは、肉体の苦痛から解放され、今度は台を滑りながら高さを失う喜びを感じるのである。黒沢清監督の映画『岸辺の旅』は、妻が夫を失くす話である。冒頭で、三年前に失踪した夫の浅野忠信が妻、深津絵里の元に現れ、三年前に死んだと告げるのであるから、夫を失くした、夫のいない妻の話である。富山の海で自殺した浅野忠信は、靴を履いたまま台所に上がり込み、深津絵里を三年の間に過ごした場所への旅に誘う。死んだ後、手伝っていたという新聞販売所の店主も死んでいる人間であり、その死んだ人間が、毎朝新聞を配達している。が、ある日新聞販売所はビルもろともに廃墟と化し、深津絵里は時を経た死後の現実を思い知らされることになる。夫の浅野忠信も死んでいるのであるが、まだ深津絵里の傍らにいて、今度は、ギョーザを作っていたという食堂を訪れ、また同じように店の手伝いを妻とする。やがて深津絵里は町の生活が気に入り、このままずっと住み続けたい、と死んでいるはずの浅野忠信に云う。朝の目覚めは、深津絵里にとって些(いささ)かの恐怖を呼び覚ます。いままでの出来事が夢だったのではないか。隣で眠る夫が消えてしまっているのではないか。ある時ピアノ教師である深津絵里が食堂にあったピアノを弾き出すと、食堂の女将が現れ、死んだ幼い妹からそのピアノを取り上げた話を告白し、悔いを嘆くと、その死んだ妹が二人の前に現れ、深津絵里の教えに従ってピアノを弾き、その笑顔に、女将は救われる。次の旅の途中、生前歯科医だった浅野忠信が職場で不倫をしていたことで二人は仲違いし、浅野が深津の前から消える。深津は一人その不倫相手と会い、行方不明だった夫は生きていると告げる。不倫相手は、深津にいま結婚していると言葉を返した。再び台所に現れた浅野忠信深津絵里は、また旅に出、浅野が世話になった農家を訪れる。夫の浅野忠信はその農家の一室を借り、村人相手に講義をしていたという。講義の続きを、浅野が始める。光について。光は粒子であり波である。光は質量がなく、物質ではない…。この農家の息子は死んでいて、浅野は会ったことがあると云う。その死んだ息子が、その嫁と浅野と深津の前に現れ、暴れ、死にたくないと云う。浅野がその男を押さえつけると、男は姿を消した。その時を境に、浅野の肉体が衰えてくる。深津が肩を貸しながら、二人は海辺にやって来る。浅野はもっときれいな海を見せたいと云う。深津は、ウチへ帰ろうと浅野を促す。浅野は時を待たず、深津の前から姿を消す。深津は、いままでが夢まぼろしでなかった証拠の、浅野のバッグを抱えて草の上から立ち上がる。夫は死んでいる。が、眼の前にいて、一緒に暮らしていた時よりも生き生きとしていた。夫は死んで初めて、やりたかったことをやっていたのだ。死んでいるはずの夫、浅野忠信を再び失った妻、深津絵里の姿は切なく、ただただ哀しい。深津絵里は、浅野忠信との旅の間じゅう、いないことで苦しみ、いることで苦しんだはずなのである。

 「つづいて私は考える。──そして、改めて半身を起こして、彼女の顔を眺める。よほど夜がふけているらしい。波は、相当荒い。」(金子光晴『どくろ杯』中公文庫1976年)

 「「楢葉遠隔技術開発センター」開所 ロボット研究、廃炉への拠点」(平成27年10月20日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)