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 詩仙堂の庵主石川丈山は、徳川幕府の間諜隠密であったかもしれない、と歴史学者中村直勝がその著書『京の魅力』(淡交新社1959年刊)に書いている。「(詩仙堂の二階の)窓は鷹峰の方にも開いて居るが、それよりも寧ろ、京都御所の森が指呼の間に見え、少し視界を伸ばすと、二条城が見える。二条城との間で手旗信号。これが私の幻想であった。一乗寺のこの場所は、絶好の位置である。宮中と叡山後水尾上皇御遊行の修学院離宮。遥かに足をのばせば、八瀬大原途中越を通って滋賀県堅田浦に通ずる裏街道。もっと遠方若狭小浜に通ずる極めて重要なるぬけ道──京都と北陸とを繋ぐ一番の近か道。そうしたものの動向を感知し、監視し、京都所司代に通告するには、洵に無比の要塞である。」「織田豊臣の時代には勤王思想が強烈に起って、源頼朝以来幕府の手にあった政権は朝廷に戻るのではないかと思わしめた。所がそれを妨げたのは徳川家康征夷大将軍になって江戸に幕府を構えたことであった。だから当時の朝廷には反徳川氏の気分が充満した、何だか徳川氏が瞞ました様に取った。その代表者は後水尾天皇を中心とする中院通村あたりであって、何か事があれば、罅があらば、事を起こそうとする潜行運動は可なり強かった。」「丈山の両肩に私(ひそ)かに託された役割があったとしたならば」詩仙堂がその役割の舞台となっていた、と中村直勝は考える。丈山は反徳川の後水尾上皇からの招聘を、「渡らじな瀬見の小河の浅くとも老の波そふかげのはづかし」と歌に詠み、断っている。徳川家康の元家臣丈山が徳川の間諜であったならば、これは堂々と徳川に義理を立てたということであり、忠誠を表したことである。そうであれば丈山は隠棲と称した後も、徳川の傘の下で役割をこなす、処世術を身につけた者となる。見えるのは、世渡りの上手い老獪の顔つきである。贋世捨人丈山の隠棲は知るほどに腥(なまぐさ)い。それは秀才が持つ独特の腥さである。中村直勝は、その『京の魅力』の「龍安寺」の章で、その章の締め括りに龍安寺の石庭のことを、「本当の事を云うと、私にはこの良さが判らないのである。」と呟き、喋り終える。龍安寺は、室町の武将細川勝元発願の禅寺であり、大小十五の石と白砂の庭は、その方丈の広さ七十五坪の前庭である。庭の三方東西南は土塀で囲まれ、その南と西は、菜種油と土を煮固めた檜皮葺の練塀である。小津安二郎監督の映画『晩春』に、この庭の出るシーンがある。映画は、父笠智衆と娘原節子の二人家族の、その婚期を逃しつつある娘を嫁に出すまでの話である。映画の終盤、漸く結婚が決まり、父娘でやって来た京都旅行の最後の日の夜、敷き延べた布団の上で娘原節子は、結婚を決めたにもかかわらず、このままお父さんと暮らしていたいと、父笠智衆に告げる。笠智衆は困惑し、結婚について切々と説いて原節子を得心させる。その翌日の、石庭のシーンに、原節子は出て来ない。方丈の濡縁に腰を下ろしているのは、笠智衆と知人役の三島雅夫である。「いざ行くとなると、やっぱり何だかつまららないよ。」「そりゃ仕方がないさ。われわれだって育ったのを貰ったんだから。」二人は、目の前の庭の話は何もしない。が、小津安二郎は二人の会話の前後に白砂と石のカットを、何度か挟み込む。露の一滴に世界が映り、世界が宿る、というのを聞けば、そうかと思い、そうかと思う者がいる。「一粒の砂のうちにも一つの世界を、一輪の野草のうちにも一つの天国を見、手のひらに無限を、ひと時のうちに永遠を掴む」と、ウィリアム・ブレイクが詩の中で語れば、なるほどと思い、なるほどと思う者がいる。言葉に屈しても、砂一粒に世界を見ることはない。砂粒そのものに屈することが出来れば、そのことこそが世界であると分かる。庭にある十五の石と無数の砂の意味するところは、何もない。意味を問えば、意味に屈することになる。

 「物語の全体は、書かれてしまったあとでもなお、依然として非所有である。物語の全体は、それゆえきわめて時間的な存在だ。言ってみれば到達されることのない一冊の書物が追い求められている。その書物に向かって物語が永久の過程を運動する。」(藤井貞和源氏物語の始原と現在』岩波現代文庫2010年)

 「福島県、森林除染で国に要望へ 効果的対策を求める」(平成27年12月29日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)