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 懸想は、思いを掛けることであり、懸想文は、恋文、艶書と解されるのであるが、江戸時代に懸想文売りが売り歩いた懸想文は、艶書もどきに縁起を願い言祝(ことほ)ぐものである。懸想文売りは、黒川道祐が著した『雍州府志』(貞享三年(1686)刊)に、「清水坂の西に居し、感神院に隷」した「もつぱら弓矢ならびに弓弦を製」し「弦指(つるそめ)」とも呼ばれた「感神院の犬神人(いぬじにん)」であるとし、「毎年正月上旬、身を赤き布衣を著け、頭に白き布巾を戴き、頭面を覆ひ、わづかに兩眼をあらはして、紙符を市中に賣る。これを懸想文といふ。男女、念ひを懸くるところのことを祈る。あるいは良縁を祈り、あるいは富貴を索(もと)め、また買賣の利を得んことを求め、あるいは君臣の遇あるを祈る。弦指、その願ふところによりて、口にそのことを唱へて、すなはちその符を授く。十四日夜、爆竹とともにおなじくこれを焚く。然るときはすなはち化として願ふごとくならしむと、しかいふ。」者であり、犬神人はまた、「祇園会に神幸(しんかう)の前路を清め、また京都市中の死体の始末、墓所の掃除などをした。」(『岩波古語辞典』)者である。曲亭馬琴の『俳諧歳時記』を藍亭靑藍が補った『増補俳諧歳時記栞草』(嘉永四年(1852)刊)には、「鷺水云(鷺水の『俳諧新式』の説)赤き袴、立烏帽子にてありく也。銭を与へつれば、女の縁の目出たく有べしといふことを、つくり祝して洗米をあたへ帰る也。今は絶て其事なければ、恋の文のやうに覚えたる人も有故に、口伝をこゝにしるしはべる。」として、懸想文を恋文ではないとしつつ、嘉永の頃には懸想文売りは姿を消したと記す。が、懸想文は柳、梅の地紋を青摺りした杉原紙(すいばらがみ)にしたためたものから、畳紙(たとう)に洗い米を二三粒包んだものに変わって後に廃れたと云われている。その懸想文売りが、昭和二十二年(1947)あるいは昭和三十年(1955)に烏帽子、覆面、水干姿で聖護院円頓美町の須賀神社に復活する。二月二日三日の節分の二日の間、懸想文売りは須賀神社の境内にその姿を現す。懸想文売りは二人で、どちらも花のない梅の枝を右肩に担ぎ、右手の指の股に畳紙に包んだ懸想文を数枚挟んでいる。参拝者が授与の希望を告げると、懸想文売りは覆った口で千円の額の声を発して懸想文一枚を渡し、左手の指の股を参拝者に見えるように広げてみせる。察した参拝者が千円札をその指の股に差し入れると、懸想文売りは祈り言を一言云い、目にも留まらぬ素早さで札を袂の内に収める。懸想文売りの顔の大分の覆いは、鼻で吸う汚臭屍臭を防ぎ、あるいは吐く息の不浄を避け、あるいは己れ自身を隠すための犬神人の装いであったのかもしれぬが、その白布の間に見える二つの目は、神の使いとして、あるいは変装した神そのものが、その隙間からこの世を窺っている姿のように見える。烏帽子に梅の枝を担いだ姿は道化であるが、人のいないところで見せる道化の目は、底光りに唯に冷たいのである。復活間もない頃の懸想文の文面はこうである。「春や常盤の京師(みさと)には、門(と)渡るあした夕べありて、遠のねぶりの口まめならで、頓証菩提のさかしらの、夜霧隠(こも)りの下おもひ、日ごと重ねむ睦み酒、偲(しの)びいでたついつもごと、たちはしるのみ、艮(うしとら)の禁裡の辻に立ち均(な)らせば、かくやすつぱと雪折れに、暾(ひ)のかがよふもたまきはる。うつつ張して、頸(うなじ)にはしげくもあるか、このはなの、かつ今めかし、笠宿り、練りあふわざの目合(まぐはい)にと、さばき髪振りしたため参らす。心逸みし忍ぶ路の、直ぐなる目界面高の、あらそのかづき、羽づくろふ、袖覆輪の彩映えて、妙なる刻の恋教へ、登里天の下なる白檀弓、貴(あて)にひきてか、文衣(あやごろも)、かすみふふみし匂充つれば、幸(さき)はひ邃(ふか)うましまして、知ろしめすてふ須賀の大神。辛西の初春 申悟より 華登里さま まゐる」今年の文面はこうである。「冬去りて 雪解けの 渓の清水に 陽光映へ 吹く東風(はるかぜ)に 騒やぐ木々 厳橿(いかし)の森に佇みて 君の御姿 浮かべつつ 深き想いを祈る刻 答ゆるが如 山祇(やまつみ)の 御使ひ務む神猿の 誘うがままに 従へば 峰々深き雲の原 掻き別け行きて 若菜摘み行く 野を行けば 魁と咲く梅が香に 啼く鶯の谷渡り 丘を越へ 遥かに見ゆる 紫の雲棚引く京に 行き着けば 明日よりは 春立ち帰る節分の 都大路の辻々に 喜びの声満ち溢れ 道行く人々 参詣ず 須賀の御社 玉垣の 内より聞こゆ 御神楽の 響きに交ゆる 呼ぶ声は 文めせやめせ ゆかしき姿の 梅が枝に 掛くる玉章 戴きて 幸せ授く 御守りは 思いを伝ゆ懸想文 願いを乗せて 届け遥かに。 かしこ 梅が枝に慕ふ心に咲く花の香り届けよ春の初風 丙申の初春 羊子より 申之介さま まゐる」読み通しえぬままに閉ぢ懸想文 鷹羽狩行。読み通さなかったのは、見ればバチが当たる御守りの内容物だからでも、読み通すに値しない文面だったからでもない。懸想文は恋文である。ひと様の恋文を読むのは、無粋である。それが、神が書いた拙い恋文であれば、なおさら無粋であろうと、人間は思うのである。懸想文売りは、二日で姿を消す。神の化身の二日であれば、その存在は永遠というのに等しい。

 「夕陽が遅くまで射しこんで、久しぶりに陽に一杯あたりながら、昼と夜兼用の食事をとる。錦松梅入りのやきにぎり、サラミソーセージ、しそとしょうが塩づけ、タラコ、味噌汁。山にくると、お茶がおいしい。お茶がおいしいので、ごはんのあと、クローバーで買ってきたアマンドパイを一切ずつ食べ、まだ、お茶がおいしかったから、チョコレートとポテトチップを食べる。ポコには魚のソーセージ一本。今晩は、台所を少し片づけただけで、のんびり遊んでいる。ねずみの糞がペン皿の中にまでしてあるが、今晩は掃除しないで遊んでいる。風が夜になっても強く、星が空一杯にある。西に低く、下弦の月というのか、鎌の刃のような薄い細い月が出ている。品川アンカを三個いれる。私と主人と花子。」(武田百合子富士日記』中公文庫1981年)

 「より広範囲で「森林除染」 3省庁が3月にも環境回復へ対策案」(平成28年2月6日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)