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 死ぬまでは転ぶことなく寒雀 三橋敏雄。雀のはね跳び歩きは、罪を負ってのことである。病気の親の元に急ぎ帰った雀は、勢い余って寝ていた親の頭を蹴り、兄弟の燕は、化粧をして帰ったために、親の死に目に間に合わなかった。死ぬ間際の親の遺言は、雀に歩行を許さず、燕には穀物の代わりに土を与える、というものである。一人の貴族が雀に変身して、内裏清涼殿の朝飯を毎日啄みに来る、という噂が立った。その雀は、その男の死の間もなくに現われたからであるが、ある夜一人の僧の夢にその男が現われ出て、こう云った。「吾レハ是、一條帝〔一条天皇〕ノ侍臣(じしん)中將實方(さねかた)也。陸奥(みちのく)ニ於(おい)テ卒(そつ)ス〔死亡する〕トイヘトモ、歸洛(きらく)ヲ想フ欝意妄執ノ故ニ、飛鳥トナツテ歸來ス。先程ノ餘縁ヲ以テ當院ノ森ニ遊ブ。師吾ガ為ニ齋戒〔身を清める〕シテ、抜苦破罪(ばつくはざい)ノ持念ヲ為シ佛寺ヲ勤修(ごんしゅ)セバ、苦輪ヲ脱(まぬか)レント。」(『山州名跡志』正徳元年(1711)刊)雀となった実方から妄執を払い浄める祈祷を頼まれた僧は、その翌朝、境内で一羽の雀の骸(むくろ)を見つける。中将藤原実方が、遠国陸奥守(むつのかみ)を命じられたのは、後の権大納言となる書の三蹟の一人藤原行成との口論の末に、その冠を払い落したことによるとされ、歌人で名を馳せた実方に、一条天皇は「歌枕をみて参れ」と述べたと、源顕兼の『古事談』が、経緯を書き記している。実方は、本意でない陸奥の地で三年を過ごした後、落馬が元で死亡する。不本意な晩年が、実方を雀に変身させたのである。雀への生まれ変わりが、実方の本意であったかどうか、あるいは雀に生まれ変わった理由を、伝えるものはない。が、実方が夢に出た僧観知法印の更雀寺(きょうじゃくじ)の雀塚は、実方が変身した雀の骸を葬ったとされる塚なのである。実方と歌の贈答をした清少納言は、雀のことを『枕草子』の第二十六段に「心ときめきするもの。雀の子飼ひ。」と書いている。清少納言は、実方の陸奥行きを惜しんだ者の一人である。更雀寺は現在、四条大宮から岩倉の西の地に移っている。寺と共に移された雀塚は、塚としての位置の意味を失っているが、その塚の前に水塔婆が一枚、反っていた。その水塔婆の、証真如院殿右中将正四位下月渓義祐大居士が、実方の戒名である。更雀寺の最寄り駅は、叡山電鉄京都精華大前である。更雀寺の前を走る府道40号は、隣の木野駅の南で府道106号になるのであるが、その変わり目に立つ電柱に、殺人事件の情報提供を求めるポスターが貼ってあった。殺害されたのは、仙台出身の京都精華大学の学生である。その殺害場所の畑の隅に、刈り残った菜の花が数本黄色い花をつけていた。不本意に命を失くしたその学生は、陸奥(みちのく)から京に雀となって戻った実方のように、京から陸奥仙台へ雀となって帰ったとしても、不思議ではない。

 「われわれは真実には、決して偽りなきものをではなくて、むしろ身体の状態や身体の中に侵入してきたり、それに対抗したりするもの〔アトム〕の状態に応じて変化するものを把握するのである。」(「レウキッポスとデモクリトス」山本光雄訳編『初期ギリシア哲学者断片集』岩波書店1958年)

 「裁判官らが避難区域3町で検証 「生業を返せ」福島原発訴訟」(平成28年3月18日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)