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 鵺(ぬえ)は鵼とも書き、トラツグミの別名であり、トラツグミと同じ声で鳴く頭が猿、胴が狸、足が虎、尾が蛇(くちなは)の化け物の名である。二条城西北の二条児童公園の隅にある鵺大明神の祠は、その化け物鵺を祀っている。平安の末、夜な夜な内裏に住まう近衛帝を怯(おび)えさせていた、上空立ち込める黒雲に弓を弾き、命(めい)を受けた源頼政はその正体である鵺を射落とした。『平家物語』巻四第四十句「鵼」の段は、その鵺退治の顛末(てんまつ)を記し、最後に「さてこの変化(へんげ)のものをば、うつほ舟に入れて流されけるとぞ聞こえし。」と結んでいる。世阿弥はこの「鵼」を元に、謡曲「鵺」を書き、川を流れ下った鵺の亡霊に、その心の様を語らせている。「頼政は名を上げ、我は名を流すうつほ舟に押し入(いれ)られて淀河の、淀みつ流れつ行末の、鵜殿も同じ芦の屋の、浦はのうきすに流れ留まつて、朽ちながらうつほ舟の、月日も見えず暗きより、暗き道にぞ入にける、遥かに照らせ山の端の、遥かに照らせ、山の端の月と共に、海月(かいげつ)も入にけり、海月とともに入にけり。」「我」は、「悪心外道の変化(へんげ)となつて、仏法王法の障(さわ)りとならむ」と自ら語り、仏の教えにも国の権力にも従わず、盾突くために鵺に変身したというのである。が、警固の頼政に射落とされ、一本の丸太舟に押し込められた魂は、闇から闇を彷徨(さまよ)って出ることは叶(かな)わず、闇の隙間に射した月の光に晒された自分の正体は、自分では見ることが出来ない、得体の知れぬ姿なのである。鵺を射落とした源頼政は、保元の乱後白河天皇側につき、平清盛源義朝らと崇徳上皇方と戦い、後(のち)の平治の乱では、藤原信頼、義朝側から清盛側に寝返り、栄華を極め権力を恣(ほしいまま)に孫の安徳天皇を位につけた清盛に対して、以仁王(もちひとおう)と共に挙兵して破れ、宇治平等院で自害する。頼政の手で射落とされた「仏法王法の障りとならむ」鵺の魂は、一瞬その姿を世に晒し、頼政の魂に乗り移っていたのである。鵺は、暗きより暗き道に入り、闇から月の光を渇望する。頼政が死んでも、清盛が死んでも、鵺の魂は不死である。鵺大明神の前に、復元された鵺池がある。鵺池は、頼政が鵺を射落とした矢の先を洗った池である。二条児童公園は、刑務所の跡地利用である。刑務所の一角で、鵺池は水を溜め、夜は月を映していた。

 「先の見える盲人たちが、そんなものがあるはずもない場所で、愛を、愛を、とその必要性を説いた。悪徳役人たちは、昨日の卵がまだファイルボックスの引出しに残っているというのに、雌鶏が月曜日分の卵を産んでいるのを見た。」(ガルシア=マルケス 鼓直訳『族長の秋』ラテンアメリカの文学13集英社1983年)

 「400人以上帰還か 避難指示解除後の福島南相馬」(平成28年8月3日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)