「鵜飼はいとほしや(※あさましい) 万劫(まんごふ)年経(としふ)る亀殺し また鵜の首を結ひ 現世(げんぜ)はかくてもありぬべし 後生(ごしやう)わが身をいかにせん」(『梁塵秘抄』巻第二)「湿る松明(たいまつ)振り立(たて)て 藤衣の玉襷 鵜籠を開き取出(とりいだ)し 島津巣下ろし新鵜ども 此河波にさつと放せば。面目の有様や、底にも見ゆる篝火(かがりび)に、驚く魚を追廻し、潜(かづ)き上げ掬(すく)ひ上げ、隙(ひま)なく魚を食ふ時は、罪も報(むく)ひも後(のち)の世も、忘(わすれ)果てて面白や。漲(みなぎ)る水の淀ならば、生簀(いけす)の鯉も上(あがる)らん、玉島川にあらねども、小鮎さ走るせせらぎに、かだみて(※怠けて)魚はよも溜めじ、不思議やな篝火の燃えても影の闇(くら)くなるは、思出(おもひいで)たり、月になりたる悲しさよ。」榎並左衛門五郎原作、世阿弥改作の謡曲「鵜飼」の第五段の後半である。第三段は、禁漁区で鵜飼漁をした罪で川に沈められた鵜使いの語りである。「鵜舟にともす篝火の、後(のち)の闇路をいかにせん。実(げに)や世中(よのなか)を憂しと思はば捨(す)つべきに(※出家すべきであるのに) 其心さらに夏川(なつかは)に、鵜使ふ事の面白さに、殺生をするはかなさよ、伝へ聞く遊子伯陽は、月に誓つて契りをなし、夫婦二(ふたつ)の星となる(※牽牛・織姫)、今の雲の上人(うへひと)月なき夜半(よは)をこそ悲しび給ふに、我はそれには引替へ、月の夜比(よごろ)を厭(いと)ひ、闇になる夜を喜べば。鵜舟にともす篝火の、消て闇こそ悲しけれ。つたなかりける身の業(わざ)と、つたなかりける身の業と、今は先非(せんぴ)を悔ゆれども、かひも波間に鵜舟漕(うぶねこぐ)、これ程惜しめ共(ども)、叶(かな)はぬ命継(つ)がむとて、営む業の物憂さよ、営む業の物憂さよ。」鵜飼は見る側も、鵜を操る鵜使いも面白く、篝火を消して漁を終えた暗闇、あるいは篝火の光が見えない月の夜を物悲しいものであると語る一方、話は鵜使いの殺生の罪悪に、僧が為す法華経の功徳を説く。芭蕉長良川の鵜飼を見物し、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉(かな)」を作る。芭蕉の教養は、鵜飼を実際に見て飛躍したわけではなく、発見もなく、謡曲「鵜飼」から「おもしろうて」と「悲しき」を大胆に切り抜いた。そうではあるが、物悲しさが芭蕉の実感であることは、「やがて」という一語が証明しているはずである。嵐山の大堰川(おおいがわ)に夜、鵜舟が出る。川に点る明りは、鵜舟の篝も屋形船の軒提灯も揺れている。漕ぎ手が櫂で舟べりを叩く音は、鵜を煽(あお)るのだという。鮎を見定める鵜の頭に、篝の火の粉が降りかかる。若い鵜ほど舟から離れ、紐で己(おの)れの首を絞めるという。引き上げられ、鮎を吐き出せば、大袈裟な歓声が屋形船で沸き上がる。やがて船べりを叩く櫂の音が遠ざかり、篝火も遠ざかる。物悲しさは、櫂の音が已(や)んでからでも、篝火が消えてからでもない。「只一人鵜河見にゆくこゝろ哉(かな) 蕪村」鵜舟が浮かぶ河はすでに物悲しく、それを見に行く蕪村の心が、物寂しくないはずはない。

 「医学の要諦なんてものは簡単だ。大宇宙と小宇宙をくまなく学ぶ。そうすれば、とどのつまりは神の思し召すところへと行くだろう。学問の成果を拾いまわってもムダなことだ。しょせん、人間は、自分が学べることしか学ばない。」(ゲーテ 池内紀訳『ファウスト集英社1999年)

 「5238人全員が1ミリシーベルト未満 福島県6月内部被ばく検査」(平成28年8月8日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)