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 伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)、四代目伊藤源左衛門が画師若冲となるのは、高倉錦小路の青物問屋枡屋の家督を弟に譲った宝暦五年(1755)、四十歳の時である。はじまりの遅い若冲は、その遅い分、その一筆から絵とは何かと問わざるを得なかった。明和二年(1765)相国寺に寄進した「動植綵絵(どうしょくさいえ)」の「蓮池遊魚図」には、黄土色の地に蓮の葉と花、鮎と追河(オイカワ)が描かれている。蓮の花は六本で、その内の四本は花弁が開き、内一本は白色で、三本は紅色である。画面左端に沿って茎を伸ばす白色と、その下隅に咲く紅色の蓮は横から見た花の形であり、もう一本画面上部にある紅蓮は真上から花を覗いた様に描かれている。白蓮のすぐ下に茎を伸ばした紅蓮の蕾があり、画面右端の上部に、横から見た開く途中の紅蓮がある。蓮の葉は左の上隅と下隅、右端の半ばに描かれ、右端で一枚萎(しお)れている。葉にはどれも朽ちた斑(ふ)が入っている。画面下部に池の水が黄土色の濃淡の雲形の曲線で描かれ、その上に、枯れて縮(ちぢ)んだ蓮の葉が数枚浮き、流れの内から菖蒲のような尖った葉が何本も突き出ている。鮎は画面中央に九匹、どれも横から見た姿を左下に向けて尾を反らせ、オスの追河は一匹、鮎の群の下に、鮎と同じ姿で描かれている。蓮の花は水面から茎を伸ばし、葉はその水面に浮き、鮎と追河は水中に潜って真横から見なければ見えない姿で蓮の茎の間で泳いでいる、というのが「蓮池遊漁図」である。若冲の絵を時に、奇想といい、既成概念に囚われない自由があり、細密描写を称え、そこには一瞬の永遠があるという。「草木国土悉皆成仏」がその根本思想であるともいわれている。若冲の絵は、問いである。何を描いているか、どう描かれているかは、絵とは何かの後次である。若冲の絵は、絵とは何かと問う行為であり、問う過程そのものである。それは考える手段であり、奇想、自由はその印象に過ぎず、描かれたものの分析は、若冲の問いに対する理解を遠ざける。若冲の絵に自由があるのではなく、若冲は、描くことで絵が何であるかを問い続けたという理解であれば、見る側にこそ自由はあり、若冲の絵の前でどこへでも行くことが出来る。若冲の「動植綵絵」三十幅は、その複製を相国寺境内の承天閣美術館で見ることが出来る。実物は明治二十二年(1889)、窮乏した相国寺から金壱萬円で宮内省に引き渡され、御物となっている。

 「わたしが今お話ししたとおりに彼がわたしに話したとはお考えにならないでください。おそらく違っていたところもあると思います。わたしが少しずつ彼から聞き出していったのです。」(「ドロテーア」ノサック 神品芳夫訳『死神とのインタヴュー』岩波文庫1987年)

 「壁パネル撤去開始 第1原発1号機、核燃料取り出しに一歩」(平成28年9月14日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)