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 野菊道数個の我の別れ行く 永田耕衣。自分、己(おの)れをそうであると意識するのは、同じ年頃の集まる中で初めて自分の名を呼ばれる保育園、幼稚園の時であろうか。その時の道は、その行き帰りの道であり、道草を覚える道であろうが、そのような子ども時代から遥かに遠く経た七十歳を前にして、永田耕衣はこの句を詠んだ。道は野菊の咲く田舎道で、その道を「数個の我」が別々に歩み去る。「数個の我」は、一つの「我」からここで数個に別れたのか、はじめから「数個の我」であったのかは分からない。保育園でその名を呼ばれた時、その名の者は自分、「我」は一人の自分自身であったはずである。それから「我」は何ほどかの知識欲望を身につけ、この先にいくつかの可能性を見出したことを「数個の我」とするのが、現実に則したこの句の無難な解釈である。「我」は、可能性として別れて行った「数個の我」を見送る、あるいは見送った。「我」は、「数個の我」の内のひとりの「我」ではなく、彼らを見送った、そのどれでもない残された「我」である。斯(か)くして「我」は己れの可能性を見送り、波風も立てず平凡に人生を過ごしたとすれば、無難な解釈の続きとして繋がる。が、「野菊道」は「我」を平凡にしない。年を経て再び「野菊道」に立った「我」永田耕衣に、可能性として見送った「数個の我」が、次々に戻って来たのではないか。その「数個の我」の顔には、どこから帰って来ても、夕日が当たり、その表情はどれも眩し気なのである。上賀茂神社の北西に、柊野別れ(ひらぎのわかれ)と呼ばれる交差点がある。府道38号鞍馬街道と、府道61号雲ケ畑街道とが交わり、角に郵便局と美容室が立つ変のない場所であり、近くのバス停の名も柊野別れである。変のない場所であるが、狭い交差点の四つの信号機の傍らにある「柊野別れHiraginowakare」のプレート文字は、平凡とは云えない異様な光景である。交差点の真ん中に立って見渡せば、四方のどの道もその者に別れを迫るのである。

 「わたしは静かになった村の通りを抜け、軽くなった夜を抜け、静けさと生気を取りもどした森を抜けて行った。森の中では一羽の鳥が奇妙な、感激のない声で、魔法を解かれてかえって魔法に魅せられたごとくうっとりと広がる闇にむかって鳴いていた。」(ヘルマン・ブロッホ 古井由吉訳『誘惑者』世界文学全集56「ブロッホ集」筑摩書房1970年)

「事故教訓に「広域避難」 福島県、楢葉・広野両町が原子力防災訓練」(平成28年10月23日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)