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 東福寺を己れの菩提寺として造営した摂政関白九條道家の姉立子と順徳天皇の娘懐成親王は、四歳で第八十五代仲恭(ちゅうきょう)天皇となるが、その承久三年(1221)、祖父後鳥羽上皇と父順徳天皇が北条追討に敗れ、僅(わず)か四カ月で天皇の座から下ろされる。道家の三男頼経(よりつね)は、三歳で鎌倉幕府四代将軍となり、長女竴子(しゅんこ)は第八十六代後堀河天皇の中宮となり秀仁親王を生み、秀仁親王は後の第八十七代四条天皇となる。天皇を廃された仲恭天皇は、道家の元で過ごし、天福二年(1234)十七歳で亡くなる。その二年後の嘉禎二年(1236)道家は吉夢により東福寺を発願し、道家の死後四男実経(さねつね)が引き継ぎ、建長七年(1255)聖一国師円爾弁円の開山で東福寺は東山に成る。臨済東福寺は、紅葉の名所ということになっている。「通天橋下の渓を洗玉澗(せんぎょくかん)といふ。このほとり楓多し。秋のすゑ紅錦の色をあらはしければ、洛陽の奇観となる。」(『都名所図会』)いまが秋のすゑにまだであれば、モミジの色づきはまばらで、身体を使って上り下りした庭園渓谷も、通天橋の上から見下ろした景色も、それを「奇観」とするには、いつか見た紅葉を青モミジの上に重ね合わせるしかない。が、これはものを考え思う言葉の上の事であり、開いた両目は、目の前の木の葉の色を欺(あざむ)いた紅色に変えたりしないことで、その目を信じることが出来る。いまではない紅葉の景色を「奇観」と思わせるのは目ではなく、言葉である。東福寺の東司(とうす)、便所は室町時代のものであり、重要文化財の指定を受けている。内は、柱の間の地面に円い壺が列をなして埋まっているだけである。地面の土は灰色である。灰色は言葉であるが、その見える灰色は、身体に寒気を催させる。頭の中で言葉が働けば、その寒気を畏敬の念と云い換える。畏敬の念は、六百年を経た骨のような便所の土に対してである。禅門曹洞宗開祖道元の『正法眼蔵』第五十四「洗浄」は、修行者の便所作法を詳しく定め、言葉に縛られたその身体行為も、思えば寒気であり、畏敬の念を抱かせる。「東司にいたる法は、かならず手巾(しゅきん)をもつ。その法は、手巾をふたへにをりて、ひだりのひぢのうへにあたりて、衫袖(さんしゅう)のうへにかくるなり。すでに東司にいたりては、浄竿に手巾をかくべし。かくる法は、臂(ひ、ひじ)にかけたりつるがごとし。もし九条・七条等の袈裟を著してきたれらば、手巾にならべてかくべし。おちざらんやうに打併(たひん)すべし、倉卒になげかくることなかれ。よくよく記号すべし。記号といふは、浄竿に字をかけり。白紙にかきて、月輪のごとく円にして、浄竿につけ列せり。しかあるを、いづれの字にわが直綴(ぢきとつ)はおりけりとわすれず、みだらざるを、記号といふなり。衆家おほくきたらんに、自他の竿位を乱すべからず。このあひだ、衆家きたりてたちつらなれば、叉手(しやしゅ)して揖(いつ)すべし。揖するに、かならずしもあひむかひ曲躬(きよくきゆう)せず、ただ叉手をむねのまへにあてて気色(けしき)ある揖なり。東司にては、直綴を著せざるにも、衆家と揖し気色するなり。もし両手ともいまだ触(そく)せず、両手ともにものをひさげざるには両手を叉して揖すべし。もしすでに一手を触せしめ、一手にものを提せらんときは、一手にて揖すべし。一手にて揖するには、手をあふげて、指頭すこしきかがめて、水を掬(きく)せんとするがごとくしてもちて、頭(かうべ)をいささか低頭(ていづ)せんとするがごとく揖するなり、他かくのごとくせば、おのれかくのごとくすべし。おのれかくのごとくせば、他またしかあるべし。褊衫(へんざん)および直綴を脱して、手巾のかたはらにかく。かくる法は、直綴をぬぎとりて、ふたつのそでをうしろへあはせて、ふたつのわきのしたをとりあはせてひきあぐれば、ふたつのそでかさなれる。このときは、左手にては直綴のうなじのうらのもとをとり、右手にてはわきをひきあぐれば、ふたつのたもとと左右の両襟とかさなるなり。両袖と両襟とをかさねて、又たたざまになかよりをりて、直綴のうなじを浄竿の那辺へなげこす。直綴の裙(くん)ならび袖口等は、竿の遮辺にかかれり。たとへば、直綴の合腰(あひごし)、浄竿にかくるなり。つぎに、竿にかけたりつる手巾の遮那両端をひきちがへて、直綴よりひきこして、手巾のかからざりつるかたにて、又ちがへてむすびとどむ。両三巾もちがへちがへしてむすびて、直綴を浄竿より落地せしめざらんとなり。あるいは直綴にむかひて合掌す。つぎに絆子(ばんす)をとりて両臂にかく。つぎに浄架にいたりて、浄桶に水を盛て、右手に提して浄廁にのぼる。浄桶に水をいるる法は、十分にみつることなかれ、九分を度とす。廁門の前にして換鞋(くわんあい)すべし。蒲鞋をはきて、自鞋を廁門の前に脱するなり。これを換鞋といふ。禅苑清規云、欲上東司、応須預往。勿致臨時内逼倉卒。乃畳袈裟、安寮中案上、或浄竿上。廁内にいたりて、左手にて内扇を掩(えん)す。つぎに浄桶の水をすこしばかり槽裏に瀉(しや)す。つぎに浄桶を当面の浄桶位に安ず。つぎにたちながら槽にむかひて弾指三下すべし。弾指のとき、左手は拳にして、左腰につけてもつなり。つぎに袴口・衣角ををさめて、門にむかひて両足に槽脣(そうしん)の両辺をふみて、蹲踞(そんきょ)して屙(あ)す。両辺をけがすことなかれ、前後にそましむることなかれ。このあひだ、黙然なるべし。隔壁(きやくへき)と語笑し、声をあげて吟詠することなかれ。涕唾狼藉(ていだろうぜき)なることなかれ、怒気卒暴なることなかれ。壁面に字をかくべからず、廁籌(しちゆう)をもて地面を劃することなかれ。」〔東司に行くには、必ず手巾(手を拭く布)を持つ。その仕方は、手巾を二重に折って、左の臂の上に当てて、衣の袖の上に掛けるのである。すでに東司に着いたならば、浄竿に手巾を掛けるべきである。掛ける仕方は、臂に掛けたのと同様である。もし九条・七条などの袈裟を着用して来たならば、手巾に並べて掛けるべきである。落ちないように、きちんと合わせるべきであって、粗忽に投げ掛けてはならない。よくよく記号すべきである。記号というのは、浄竿に字が書いてある。白紙に書いて、月の輪のように円くして、浄竿に並べて取り付けてあるのだ。それを、どの字の所に自分の直綴(上半身と下半身を一着に連ねた衣)を置いたかを忘れないで、混乱しないようにするのを、記号と言うのである。修行者たちが多く来た場合には、自他の浄竿の位置を乱さないようにしなければいけない。この間、修行者たちが来て行列していれば、叉手(握った左手を右の掌で覆って胸の前に当てる)して揖(重ね合わせた手を動かして行なう敬礼)すべきである。揖するには、必ずしも向かい合って身を屈めるのではなくて、ただ叉手を胸の前に当てて微かに動かす揖なのだ。東司では、直綴を着用していない場合でも、修行者たちに対して揖する所作をするのである。もし両手ともまだ汚れておらず、両手とも物を提げていないならば、両手で叉手して揖すべきである。もし、すでに片手が汚れているとか、片手に物を提げているような時には、片手で揖すべきである。片手で揖するには、手を仰向けにして、指先を少し屈めて、水を掬うような恰好にして、頭を少し下げるようなふうにして揖するのである。相手の人がそのようにすれば、自分もそのようにすべきである。自分がそのようにすれば、相手もやはりそのようにするはずである。褊衫(上半身を被う衣)および直綴を脱いで、手巾の傍らに掛ける。掛け方は、直綴を脱ぎ取って、両方の袖を背後で合わせて、両方の腋の下を取り合わせて引き上げれば、両方の袖が重なったようになる。この時、左手で直綴の裏の襟元を取り、右手で脇を引き上げれば、両方の袂と左右両方の襟とが重なるのである。両袖と両襟とを重ねて、また縦に中から折って、直綴の襟元を浄竿の向う側へ投げ越えさせる。直綴の裙(下半身の部分)ならびに袖口などは、浄竿のこちら側に掛かっている。いわば、浄竿の合腰(上半身部と下半身部の縫い合わせ)を浄竿に掛けるわけである。次に、浄竿に掛けた手巾のこちら側と向う側との両方の端を引き違いにして、直綴から越えるように引っ張って、手巾の掛かっていない方で、また引き違いにして結びつける。ニ、三周も引き違い引き違いにして結んで、直綴を浄竿から落ちないようにするのである。さらには、直綴に向って合掌する。次に、絆子(たすき)を取って、両臂に掛ける。次に、浄架(洗面所)へ行って、浄桶(洗浄用の桶)に水を入れて、右手で提げて、浄廁(便所)に上る。浄桶に水を入れる仕方は、いっぱいにしてはならないのであって、九分目ぐらいが適当である。廁の入口の前で、履物を換えるべきである。蒲製の履物を履いて、自分の履物は廁の入口の前に脱いでおくのである。このことを、換鞋と言う。『禅苑清規(ぜんえんしんぎ)』には、次のように書かれている。「東司に上らんと欲(おも)わば、応(まさ)に須(すべから)く預(あらかじめ、早めに)往(ゆ)くべし、時に臨んで内に逼(せ)まり(便意が差し迫る)倉卒(そうそつ、あわてる)を致すことなかれ。乃(すなわ)ち、袈裟を畳みて、寮中の案(物を置く台)上、或いは浄竿の上に安ず(置く)べし。」廁の中に入って、左手で入口の扉を閉じる。次に、浄桶の水を少しばかり槽(用便壺)の中に流し込む。次に、浄桶を正面にある浄桶の置き場に置く。次に、立ったままで槽に向って弾指(指を弾いて音を立てる呪法)を三回すべきである。弾指の時、左手は握り拳にして、左腰につけておくのである。次に、袴の裾・衣の端を収め込んで、入口の方に向かい、両足で槽の上端の両側を踏んでしゃがんで用便する。両側を汚してはならないし、前後に染み出せてはならない。この間、沈黙しているべきである。壁を隔てた相手と談笑したり、声を上げて歌うようなことをしてはならない。涙や唾を散らかしてはならない。荒々しく力んではならない。壁に字を書いてはならない。廁籌(便を拭う箆)で地面に線を引いたりしてはならない。〕(森本和夫『『正法眼蔵』読解』ちくま学芸文庫2004年刊)現在、禅の修行としてこれを行なわないのであれば、禅も禅寺も変質退行したことになる。

 「さて我々は、ただ一人で生きよう。仲間をもつまい・と企てる以上、我々の満足を我々自身によらしめよう。我々を他人に結びつけるあらゆる関係から抜け出よう。ほんとうに独りで生きることができるように・そうやって心静かに生きることができるように・なろう。」(モンテーニュ 関根秀雄訳『随想録』白水社1960年)

 「1号機・建屋カバー解体終了 福島原発、がれき撤去調査へ」(平成28年11月11日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)