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 ルイ=フェルディナン・セリーヌの小説『なしくずしの死』の日本語の直訳は、「信用販売の死」「分割払いの死」であると、翻訳者の滝田文彦は書いている。なしくずし(済崩)は、『言海』によれば、「借リタル金高ノ内ヲ若干ヅツ次第二返済スル。」であり、『広辞苑』は、「借金を少しずつ返却すること。物事を少しずつすましてゆくこと。」と記している。であるならば、『なしくずしの死』は、借リタル金高である「生」を若干ヅツ次第二返済、減らして行って、遂には返済が終わり、「死」を迎えるということであろうか。「生」は借リタルものであり、物事を少しずつすましてゆくことが「死」ぬことであるということであろうか。十一月十日の朝日新聞に次の記事が載った。「豊臣秀吉が京都の町を囲むように築いた「御土居(おどい)」の土塁や堀、暗渠(あんきょ)が京都市北区紫野花ノ坊町の発掘現場で見つかった。埋蔵文化財研究所が上部を削り取られた土塁の大きさを復元したところ、推定幅約18メートル、高さ7.5メートルあった。土塁の西側には推定幅約18メートル深さ4.5メートルの堀が掘られ、途中幅2.6メートルの通路状の犬走りが設けられていた。堀の底部から、土塁の頂上までを復元した高低差は約9.2メートルにおよび、堀を掘って出た土を自然の緩やかな斜面に盛ることで約45度の急斜面をつくっていた。」御土居は、明治期まである程度市中に形をとどめていたが、京都府が出した「御土居開拓之儀」あるいは、大正十一年(1919)の都市計画法によりその殆(ほとん)どが切り崩され、住宅地に代わっていった。御土居はなし崩しに、宅地にされたのである。この表現は正しくはないが、文字通り成し崩されたのであるから間違いであるとも云えない。発掘された御土居は、暫(しばら)く空地のまま叢(くさむら)になっていたところである。この後御土居は埋め戻され、その上に市営住宅が建つことになっている。御土居に防衛、治水の造られた理由はあっても、然(さ)したる物語りはない。切り崩された叢にも物語りはない。小説『なしくずしの死』は文体の行動であり、物語りは入り乱れ、そこには「生」の解決も解答もない。叢で、あるいは復元された御土居の上で「なし崩しだな」と呟いた者は、小春日に当たりながら、御土居ではなく、借りた「生」を徐々に返してゆく、という言葉の表現の意味を考えてみるのである。

 「わたしの望みは出発することであり、それもできるだけ早く、そしてもう誰の話もきかないことだった。重要なのは自分がまちがっているか正しいか知ることではない。そんなのはまったくどうだっていいことだ…… 必要なのは、世の中の連中に自分にかまう気をなくさせることだ…… そのほかのことは悪だ。」(セリーヌ 滝田文彦訳『なしくずしの死』世界の文学7「セリーヌ集英社1978年)

 「「中間貯蔵」17年秋開始 用地取得まだ1割……本体工事着手」(平成28年11月16日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)