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 夢に知人の男が現われ、その夢を見ている者に何か喋る。二十年以上会っていないその男は、当然その男の現在の姿ではなく、最後に会った時の姿か、それ以前の男の姿である。その男が、今度は身振りで何ごとかを説明する。その男の目は、その夢を見ている者の現在の姿を見ているのか、過去の若い時の姿を見ているのか、その夢を見ている者には分からない。2015年放送のNHKBSプレミアム「京都人の密かな愉しみ 夏編」のドラマの中のドラマ「其の一 真名井の女」の主な人物は、井戸掘り会社の四代目の跡取り息子とその会社の事務員と、跡取り息子が通う小料理屋の女将である。跡取り息子が、路地の奥にある、鉄輪井(かなわのい)と呼ばれるいわくつきの井戸のある命婦(みょうぶ)稲荷の手水(ちょうず)を直している時、小料理屋の女将が現われ、直したお礼がしたいと云って自分の店に跡取り息子を誘い、その日から跡取り息子の夜毎の店通いがはじまる。跡取り息子に旨いお茶を出す事務員は、その息子に好意を寄せている風ではあるが、息子の方は事務員に特別の意識があるように振る舞ってはいない。が、小料理屋の女将は、自分は嫉妬深い女であると云って、いまは枯れた鉄輪井で縁切りの願を掛けた水を跡取り息子に差し出す。その日、掘っていた井戸の中で跡取り息子が酸欠で倒れ、息子が最近の顔色も態度もおかしかったのは、昨年、井戸堀り仕事ではタブー、土を扱う仕事をしてはいけないとされている土用の時期に命婦稲荷で仕事をしたからであることに、社長である父親が思い至る。その日の夜も女将の元を訪れた跡取り息子は、差し出された水を飲んで正体を失くし、鉄輪井の前で倒れているところを父親に見つけ出される。それを見ていた小料理屋の女将は、稲荷の裏の闇の中に消えて行く。事務員が淹れるお茶に使う水が、市比賣(いちひめ)神社にある天之真名井の水であると知って、跡取り息子が十年前に掘り直したその井戸に行くと、水を汲んでいる事務員に会い、事務員は跡取り息子に、天之真名井の水は一つだけ願いを叶えてくれる水であり、跡取り息子に憑いた悪い霊から守るため、会社に採用された一年前からこの水でお茶を淹れていたと云うと、事務員も跡取り息子の前から消えていなくなる。跡取り息子は、井戸水の化身だった二人の女を同時に失うのであるが、ただ狐につままれたような顔で、ドラマは終わる。怪談話としているのであるが、跡取り息子が格別取り憑かれた様子でもなければ、女将も事務員もありきたりに振る舞っていて、二人が消えてしまったことに見る側も狐につままれる。ものに取り憑かれるのは生身の女将であり、生身の事務員でなければならない。そのことで狂うのが、跡取り息子である。茶の間で見るドラマであっても、怪談であるならば、そこには凄みの一瞬がなければ、虚構として空しい。「伝ヘテ云フ、昔嫉妬ノ女アリ。他(ヒト)ヲ呪詛(ノロヒ)テ神ニ祈リ毎夜(ヨゴト)丑(ウシノ)時(コク)社参(ヤシロマヒリ)ス。終(ッヒ)ニ此(ココ)ニ於(オイ)テ気疲レテ死ス。然(シカフ)シテ其ノ霊ノ荒(アル)ルヲ以テ、戴ク所ノ鉄輪ヲ以テ、塚ヲ築ッキテ之(コレ)ヲ祀(マツ)ルト云フ。」(『山州名跡志』)「そして、井戸に生れたのが、水を飲むと縁が切れるというウワサ。……けれども縁切り伝説は縁起がよろしくないというので、寛文八年(1668)五月、稲荷大明神をまつり、逆に縁結びの神とした。元治元年(1864)、火災で社殿は焼けたが、町総代が神霊を保管、新たに神社を建てて夫婦和合、福徳円満の神として、命婦稲荷神社と称した。昭和十年(1935)十一月のことである。」(『京都・伝説散歩』京都新聞社1971年刊)頭に載せた鉄輪の足に火を灯し、丑刻詣りで自分を捨てた男を呪った女の伝説のために稲荷社を設けたのであれば、伝説の凄みがそうさせたのである。その伝説はまた、京都の凄みである。

 「いい夜だ。君はどこにいるのか、ジャック・ベルニスよ? どこにいるのか? 君のいまいるそこは近くであるか、また遠くであるか? 早くも君の存在が何と軽いものになっていることか? 僕の周囲には見渡すかぎり身軽なサハラが展がって、そこかしこに羚羊の足跡を僅かに残しているだけだ。今夜、この砂の上に君の上に横たわる一番重いそのものが、空からそこへ落ちて来た軽い幽霊でなければよいが。」(サン・テクジュペリ 堀口大學訳「南方郵便機」現代世界文學全集7三笠書房1954年)

 「「放射線量は年々減少」 高校生が調査報告、広野国際フォーラム」(平成28年11月28日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)