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 雨か雪という天気予報の朝、晴れ間ののぞく空から吹かれ漂う小さな雪の一粒の発見があり、忽(たちま)ち空が雲に覆われ、その数の数えは最早追いつかない雪の降り現われは、雨とならない大気の冷たさの説明である。寒さの最中に熱さを思うことは、一つの逃避であるとすれば、熱さではなく別の寒さを思い起こすということは、どういうことであろうか。ロス・マクドナルドに『さむけ』という探偵小説があり、ジョン・ル・カレに『寒い国から帰ってきたスパイ』というスパイ小説がある。どちらもそそる題名であり、その題名の通り『さむけ』は、人を殺す寒さであり、『寒い国から帰ってきたスパイ』は、嘘をつく国の寒さである。物語りの細部は記憶にない、が、その題名にそそられ、心に触れた寒さは、読む行為の豊かさとしていまも記憶している。『寒い国から帰ってきたスパイ』は1963年の発表であり、ケネディ大統領の暗殺された年であり、『さむけ』の発表は、1964年である。私小説車谷長吉(くるまたにちょうきつ)の小説『赤目四十八瀧心中未遂』にある「見知らぬ市(まち)へはじめて降り立った時ほど、あたりの空気が、汚れのない新鮮さで感じられる時はない。その市(まち)の得体の知れなさに、呑み込まれるような不安を覚えるのである。その日の朝早く京都小山花ノ木町の知人の家を出て、鴨川べりへ出ると、川が一面に凍っていた。尼ヶ崎は霙(みぞれ)まじりの雨だった。シベリアから南下した烈しい寒気団が日本列島を天から圧していた。」は、車谷長吉の過去の実感の投影であり、ここ数日のいまの京都の実感である。『赤目四十八瀧心中未遂』の「私」と、同じアパートに住む「アヤ子」との心中は、題名の通り未遂に終わる。心中場所の赤目で入った食堂でビールを飲みながら、「私」は「アヤ子」から、「あんたは、あかんやろ」と呟かれる。「私」は、「己(おの)れの心が、ふたたび「冷え物。」になって行くのが、はっきり感じられた。」(『赤目四十八瀧心中未遂』)この「冷え物」は、冷(さ)めた食い物であり、それは冷え者としても同じであり、喰えない者、融通の利かない強情者であり、「愚図」であり、「腑抜け」であり、「臆病者」であり、書かれた車谷長吉自身の姿である。車谷長吉は、二十五歳で広告代理店のサラリーマンの身分を捨て、小説原稿を書く生活に入るが、三十歳で行き詰まり、故郷播州飾磨(しかま)に逃げ帰り、調理師学校に通った後、昭和五十二年(1977)京都西洞院通(にしのとおいんどおり)丸太町上ルの料理屋柿傳で下働きをしている。車谷長吉の『文士の生魑魅(いきすだま)』にこのような一文がある。「私は京都の料理屋で料理場の下働きをしていた。三十一歳だった。朝五時に起きて、料理場の拭き掃除、便所掃除、朝飯の拵(こさ)えにはじまる毎日だった。本を読むいとまはなかったし、文士になりたい、という悪夢も九割はあきらめていた。……仕事が終わるのは夜十一時である。それから私はこの本(野呂邦暢の『諫早菖蒲日記』)を持って、京都御所の外苑へ行き、外灯の下で、夜中の二時、三時まで立ってむさぼり読んだ。」料理屋の寮の相部屋では、明りを点けて本を読むことは許されなかったのである。車谷長吉はその後料理屋を転々とし、昭和五十七年(1982)小説「萬藏の場合」が芥川賞候補になるが、その落選の知らせを、神戸元町の料理屋みの幸の料理場で聞いたという。車谷長吉が『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞するのはそれから十六年後、平成十年(1998)五十三歳の時である。

 「因(ちな)みに「冷位」というのは、例の心敬の「氷ばかり艶(えん)なるはなし」に通じる、世阿弥の「冷えたる曲」の論を体した、私近来の志を霊的に表記したつもりの造語である。」(永田耕衣 句集『冷位』コーベブックス1975年)

 「(汚染)土のう破損 「元請けの指示で切った」 現場作業員が関与認める」(平成29年2月15日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)