鳶尾草(イチハツ)や一椀に人衰へて 綾部仁喜。鳶尾草はアヤメを小ぶりにしたようなアヤメ科の花であり、アヤメよりも早く、水のないところに、いま頃の時期に咲く花である。俳句はこの鳶尾草の花、あるいはイチハツという言葉に、人が衰えるというありきたりな様子を並べるのであるが、「一椀に」という言葉は、この俳句をありきたりにさせていない。たとえば、一椀分の食事も摂(と)れないほど食欲が衰えるという切実さは、誰の身にも起こり得る。あるいは、一つの茶碗を使い続けて、ある日ある時その割れもせぬ茶碗に比べ、自分の心身の衰えを自覚するということもあるかもしれない。あるいは、理想の椀、碗を追い求め、その椀、碗を作り得たか、作り得ぬまま肉体が衰えるに至った者を云い表わしたとすれば、俳句はありきたりである。毎日来る日も来る日も、一椀分の飯を食べ続けてきて、いま己(おの)れの身に衰えがやって来た。一椀は食事の単位であり、一杯の飯を食べ続けてきたことで、こうして生き延びたのであり、生き延びたことで、己れの衰えを味わうことになった。衰えを味わうことが出来るほど、その者は生きることが出来たのである。「一椀」は、生きるための必要な単位であり、生きることの持続を、俳句作者は「一椀」という単位に託したのである。衰えは変化である。人の衰えは死に向かうが、その変化を面白いと受け止めよ、という思いが「一椀に」の「に」に込められているのではないか。兄桓武天皇に、藤原種継(たねつぐ)暗殺への関わりを疑われ餓死自殺し、「怨霊」となった早良親王(さわらしんのう)は、洛北上高野の崇道神社(すどうじんじゃ)に、崇道天皇と諡(おくりな)を貰い、桓武天皇の命で祀られているが、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)にも早良親王は、怨霊神として祀られている。上御霊神社には、早良親王のほか、桓武天皇との父光仁天皇、白壁王の妃、聖武天皇井上内親王と、藤原百川ももかわ)の策謀で皇太子を廃されたその子他戸親王(おさべしんのう)の他五名の怨霊を、魂鎮めのために祀り、明治天皇は次々の皇子の早死を憂い、霊元天皇の後継で揉め、佐渡流罪となった霊元天皇典侍(ないしのすけ)の父小倉実起(さねおき)公卿一家らの怨霊を祀るよう命じた。その上御霊神社の南の空堀と境内に鳶尾草が咲いている。ここの鳶尾草は、一椀を自分の意思で拒み、強引な衰えを迎えた人魂に添えられたものである。

 「二つの記憶が残っている。最初のは何か格別なものを証明しているわけではない。二つ目は、まあ、革命期の雰囲気を確実に見きわめさせるものだ。」(ジョージ・オーウェル 新庄哲夫訳『カタロニア讃歌』早川文庫1984年)

 「デブリ除去で『新技術』開発 第1原発、レーザーと噴射水活用」(平成29年4月28日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)