阿呆と煙は高いところを好む、あるいは高いところへ行きたがるという時の煙は、火によって燃えたものが二酸化炭素まで変じなかった炭素の姿であり、その火によって出来た上昇気流に押し上げられ、高いところを好むと云い表せば、生きもののようにも目に映り、死の床にあった尾崎放哉の句、春の山のうしろから烟(けむり)が出だした、の烟は、焼かれた己(おの)れの身体から湧き出た烟であり、己(おの)れの魂がその中に入り混じっているか、烟に変じた魂が高いところへ行きたがっている。阿呆が高いところを好むというもの云いが、煽(おだ)てに乗って云われるままに危険な高い木の枝の柿の実を取ることもそうであるのであれば、そう仕向ける者は阿呆者よりも賢いということになる。子ども時代に読んだ話の、阿呆者が柿の実を捥(も)いだ後の展開は、その阿呆者が枝の上から見る目の前の景色であり、高いところに登らなければその景色を見ることが出来ないということは、子どもにも分かるのである。下の利口者は、その景色を我が目で見ているように知りたいのであるが、阿呆者の云いは阿呆者であるが故(ゆえ)に覚束(おぼつか)ないのである。ソ連が1957年に打ち上げたスプートニク2号に、一匹の雌犬が乗せられた。犬を乗せたのは賢い科学者である。雌犬だったのは、排泄の姿勢の都合だったからである。この犬は高いところに行くほど心拍数が上がることを、地上の利口者に教えたのであるが、無重力の軌道で半日も生命は持たなかった。1958年に完成した東京タワーの、その工事途中の鉄筋の上で命綱も付けずに笑っている鳶職人のモノクロ写真がある。この者らは金という煽(おだ)てに乗った阿呆者であるのであろうが、鳶職人が見せたその笑いを、理屈で説明をつけたとしても利口者には金輪際真似ることは出来ない。利口者の科学者に押し込められたライカ犬は、鳶職人が笑っている中空のその遥か先で、身動きが取れぬまま命を縮めていた。東山華頂山は二百十メートル余の高さがあり、その頂上に将軍塚がある。東京タワーの三分のニの高さである。「「昔より代々の帝王、国々、所々、おほくの都を建てられしかども、かくのごとく勝(すぐ)れたる地はなし」とて、桓武天皇ことに執(しつ)しおぼしめす。大臣、公卿、諸道の才人に仰せて、「長久なるべき様に」とて、土にて八尺の人形を作り、鉄(くろがね)の鎧、兜を着せ、同じく鉄の弓矢を持たせて、東山の峰に西向きに立ててうづめられけり。「末代この京を他国へ遷(うつ)すことあらじ。守護神となるべし」とぞ御約束ありける。されば天下に大事出で来(こ)んとては、この塚かならず鳴り動(どう)す。「将軍塚」とて今にあり。」(『平家物語』巻五「都遷し」)桓武天皇は、官僚和気清麻呂(わけのきよまろ)に誘(いざな)われ、自ら山頂まで足を運んで己(おの)れの目で新たに都とする土地を見たという。命(めい)を受けて山に登った和気清麻呂の言葉は、地上で待つ桓武天皇の胸に響いたのであり、将軍塚は、まだ見ぬ平安京の青写真を桓武天皇がその頭に描いた場所なのである。桓武天皇が登ったかもしれぬ登山道(とざんみち)の途中で、根こそぎに倒れている樹が二本、別々に道を塞(ふさ)いでいた。恐らくは昨年九月の台風で倒れたものである。樹は枝を鋸で払われていて、攀(よ)じ登れば通ることが出来る。が、後ろから駆け上がって来た耳の垂れた犬は、樹の前で足踏みをしながらうろつき、遅れてやって来た主(あるじ)に抱き上げられ、安堵の顔を見せながら主の如くに丸太を越えて行った。華頂山の頂上はあっけなく平らで、山の東側にくねったアスファルトの車道を垂らしていた。将軍塚は芝を植えた盛り土を円く積み石で囲まれ、いまは粟田口青蓮院の敷地の内にあり、頂上のもう一方は駐車場のある公園になっている。青蓮院がここに護摩堂青龍殿を建て、斜面に迫(せ)り出した大舞台と称する展望場(てんぼうば)を設けたのは、平成二十六年である。阿呆者は高いところに立つと、顔が綻(ほころ)ぶ。頂上公園のセメントのステージのような展望台からでも、青龍殿の大舞台からでも文字通り京都市街が一望出来る。京都タワーを指さし、御所や船岡山や鴨川や五山の大文字を知る者は、そう口に出して連れに云う、恰(あたか)も高村光太郎の「智恵子抄」の詩の如くに。あれが阿多多羅山(あだたらやま)、あの光るのが阿武隈川。阿呆者は笑う。利口者に軽蔑されても、高いところに登って笑うのである。都が千年を超えて続いたことを思えば、この山の頂上で桓武天皇も笑ったのである。

 「ペチャもジジも年をとると毎日あがってきた三階の私の部屋にこなくなった。一日中一階の居間にいて、夜中に階段をのぼって二階にくるだけ。もうペチャやジジの頭の中には三階がなくなったのかと思っていると、ある日突然三階にあがっていった。ジジは最後の夏は、昼前から日没すぎまで、しばらく三階で寝ては次に二階で寝、二階でしばらく寝るとまた三階で寝るのを繰り返した。猫の記憶はどうなっているのか。それは記憶でなく空間ということなのか。」(保坂和志カフカ式練習帳』文藝春秋社2012年)

 「富岡から郡山…「避難」訓練 原子力災害想定、町民ら300人参加」(平成31年1月27日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)