初めて曲がる曲がり角の道のその先の小道が行き止まりであるかもしれぬことは用心をしていても起こり、その小道が思わずも知った道に通じていたということもあるのであるが、太秦広隆寺の手前の三条通を南に曲がって初めて入った狭い住宅道の行き止まりとな…

橋早春何を提げても未婚の手 長谷川双魚(はせがわそうぎょ)。たとえば、「早春に」、あるいは「早春の」、何を提げても未婚の手、とすれば、調子は滑らかになり、早春という季節の未婚の、恐らくは女の手の瑞々しさはすっきりする。が、長谷川双魚は、頭に…

車谷長吉に「三笠山」という短篇小説がある。己(おの)れの商売が行き詰まり、一家四人で心中をする話である。京都大学医学部に合格したその日に父親が二人死亡の交通事故を起こしたことで、男は進学を諦めて建材会社に入り、後に独立し、高校の同級生で子…

一休さん、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)は第百代後小松天皇の落胤(らくいん)として洛南京田辺の酬恩庵、一休寺にある墓は宮内庁によって管理されている。一休宗純の弟子没倫紹等墨斎が書いたという『東海一休和尚年譜』には、酬恩庵で迎えたその最後…

油屋にむかしの油買ひにゆく 三橋敏雄。俳句は季語を使って詠むものであり、そうでないものは俳句ではないとする者がいるが、この俳句には季語がない。「油屋に」「買ひにゆく」ものは油であり、三橋敏雄が買いに行ったものは「むかしの油」である。たとえば…

雲林院界隈駐車嚴禁のひるや荒鹽の香の西行。塚本邦雄が昭和五十年(1975)に出した歌集『されど遊星』三百首の内の一首である。北大路通を挟んだ大徳寺の南東に、雲林院という名の小寺があるが、雲林院は幻の寺である。平安の末から源頼朝の鎌倉が始ま…

四条通は、八坂神社の朱塗りの西楼門から色合いの変わる繁華な町を貫(つらぬ)き、右京梅津の長福寺までほぼ真直ぐで、この位置から桂川に架かる松尾橋までやや南に傾きながら繋いで終わる。松尾橋の西詰には、松尾大社(まつのおたいしゃ)の大鳥居が構え…

雲ケ畑(くもがはた)という地名は、繁華な町中(まちなか)よりも遠い町外れの名に相応(ふさわ)しく、賀茂川を遡(さかのぼ)って辿り着く、川淵にオオサンショウウオの棲む洛北の山間(やまあい)の地区の名である。この地名の由来の一つに、出雲が絡ん…

押入の奥にさす日や冬隣 草間時彦。映画監督小津安二郎は、普段の日常を芸術にしたといわれている。最早一日の日は短く、低く空を巡っている日の光がたまたま開けた押入の中に射し、その不意打ちのような光に思わず戸を持つ手が止まり、寸前まで押入を開けて…

神宮道は、平安神宮の應天門の前からはじめれば、冷泉通、二条通を越え、左右に府立図書館、国立近代美術館、京セラ美術館を見、大鳥居を潜り、琵琶湖疏水に架かる慶流橋を渡り、仁王門通を越え、三条通を超え、青蓮院(しょうれんいん)を過ぎ、知恩院の山…

谷崎潤一郎は小説『細雪(ささめゆき)』で、一家の四人姉妹の次女の幸子を「鯛でも明石鯛でなければ旨(うま)がらない幸子は、花も京都の花でなければ見たような気がしないのであった。」と書き、毎年姉妹で見る平安神宮の「神苑の花が洛中における最も美…

清少納言の『枕草子』には、世の中の気に入っているもの、気に入らないものが筆のおもむくままに記されている。例えば、「第百九十段 島は八十島。浮島。たはれ島。絵島。松が浦島。豊浦の島。籬(まがき)の島。第百九十一段 浜は、有度浜(うどはま)。長…

善良に公園の薔薇見て帰る 富安風生。一見、何やら飲み込みがたい思いのする句である。その理由は、「見て」に掛かる「善良」という言葉にあり、「善良に見る」という表現が、日常口にしないからかもしれない。先生が子どもを諭す時、善良になれ、不良になる…

東大路通の色褪せた屋根を連ねる今熊野商店街の間から泉涌寺(せんにゅうじ)に向かう道は泉涌寺道と呼ばれ、二百五十メートル余を緩やかに上ると総門に出る。総門からいまは緑の樹と石垣に両側を囲まれ、曲がりながらまたなだらかな上りが続く参道を上って…

アサギマダラが目の前にいる。この蝶は秋の終わる頃、台湾香港までも二千キロを越える海の上を渡って行き、また夏になるとその同じ距離を戻って来るのだという。渡り来れば、夏でも気温の低い高原の葉っぱの裏に卵を産みつけ、蛹から孵(かえ)ればあとは、…

京都は、坂本龍馬が殺された場所である。その日、坂本龍馬は京都にいる理由があり、殺される理由があった。その日とは慶応三年(1867)十一月十五日である。そのひと月前、坂本龍馬の言葉で云う「一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜(ヨロ)シク…

七条通は、西は桂川の桂橋の手前で八条通と交わり、東は智積院の門前で果てる。鴨川を東に渡ってすぐの七条通から北に大和大路通を二百五十メートル上がると、正面通がある。百五十メートルの長さだけ道幅を拡げている通りである。この突き当りには、いまは…

嵯峨鳥居本に愛宕念仏寺(おたぎねんぶつじ)がある。まだ茅葺屋根がぽつぽつ残り、観光客目当ての土産物屋が軒を並べる鳥居本の地の名の鳥居は、先を登りつめて至る愛宕山の頂上にある愛宕神社の一の鳥居であり、小説家水上勉は時に鳥居本を、京都脱出のと…

東山の哲学の道は、琵琶湖疏水沿いの小径をそう名づけたものである。琵琶湖疏水はその名の通り、琵琶湖の水を京都市中に通したものであり、その水は市の水道の九十七パーセントを賄い、残りの三パーセントも琵琶湖を出た瀬田川が注ぐ宇治川の水で賄っている…

梶の葉を朗詠集のしをり哉 蕪村。この句の季語は梶の葉で、織姫彦星と同じ七夕の季語の一つであるが、機織りの上達を願い歌を書いた七枚の梶の葉に針で五色の糸を通して星の下に供えたという平安の風習、乞巧奠(きっこうでん)の知識のない者にはこの梶の葉…

明月院ブルーという色がある。北鎌倉明月院に咲く紫陽花の花の色を指して、そういうのだという。その青色は咲き始めの薄水色ではなく、枯れる前のひと時の濃い水色をいうのであろう。明月院の境内一面に植えられている紫陽花は七月に入ると、まだ水色の盛り…

嵯峨亀山に瀧口寺がある。垣根を挟んだ隣りは祇王寺である。祇王寺は、平清盛が囲っていた白拍子祇王・祇女の姉妹が若い白拍子仏御前に座を取って代わられ、己(おの)れの母と共に出家し、後に仏御前も加わり四人で住んだ往生院の廃跡に後々になって建てた…

誰もいない、という言葉には嘘が含まれている。誰もいないと辺りを見て思う者がそこにいて、ここ渡月橋が架かる桂川の川縁の駐車場に係の者が二人、警備の者が一人いる。あるいは金閣寺の参道口に警備の者が二人いて、奥の駐車場に係の者が一人棒を持って立…

「対岸の桜」という小説がある。向こう岸をいう「対岸」は火事という続き言葉を持っている。鴨川の向こう岸で火事があった。燃えたのは一軒の古本屋である。「隔岸観火」は、火種を抱えた敵の自滅を待つ戦略だという。十一月の半ばを過ぎたその日は小春の陽…

西賀茂の京都市営小谷墓地に、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の墓がある。墓地は毘沙門山の裾にあり、山は京都ゴルフ倶楽部のゴルフコースになっている。魯山人の墓は山裾を上った日当たりのいい外れにあり、墓石には「北大路家代々之靈墓」と彫られ…

日常を過ごす中で、がらんとして何もない部屋に立つ時、その者はこののちその部屋を借りるのかもしれず、あるいは中にあった家具などすべて外に運び出し、最早鍵を掛けて出てゆくばかりのところかもしれぬ。もし忘れもののないよういま一度見廻したところで…

数本の早咲きの白梅や蠟梅(ろうばい)や寒桜やシナマンサクが咲いたぐらいで、立春を過ぎた京都府立植物園に人が大挙してやって来ることはない。広場の芝生は枯れ、菖蒲池の水は抜かれたままで、薔薇園の薔薇は刺さった棒のように剪定され、これから種を蒔…

節分の厠(かわや)灯してめでたさよ 篠原温亭。この厠は外厠であろう。一家の主(あるじ)が一年に一度の、家族総出の「騒動」を了(お)えて厠に立った。思わずも高揚した気分は、出す小便とともにしみじみと静まってゆく。めでたさは連綿と続いてきた行事…

年末が近づくと町内会を通して、「平安神宮守護」という札が配られる。これは京都府下の住民は皆平安神宮の氏子であり、この一枚の札により諸々から皆を守護するというものである。「明治二十五年(1892)の初め、文明評論家・歴史家として著名な田口卯…

浄土宗の開祖法然、法然房源空の幼名は勢至丸(せいしまる)という。勢至は勢至菩薩の勢至であり、勢至菩薩は智慧をもってすべての生きものを救い導く、阿弥陀如来の脇侍であり、阿弥陀如来のもう一方の脇侍は慈悲をもって救う観音菩薩である。法然は建永二…