京都国立博物館で展示している鳥獣人物戯画の実物を見るためには、三時間並ばなければならなかった。京都には、朝から北西の冷たい風が吹いていた。一旦雲に遮られると、しばらく日差しが戻らなかった。庭の、ロダンがブロンズ粘土でこしらえた考える人が、人の列に背中を向けていた。一面の芝は枯れ、立っている桜は黄や紅に紅葉していた。日陰のさ中でも、考える人の前で一斉に噴水が上がった。門を潜ってやって来た、鳥獣人物戯画のために人生の三時間を費やすことを決めた者だけが、列の最後尾に並んだ。鳥獣人物戯画は甲乙丙丁の四巻から成り、兎と蛙が角力を取っている図は甲の巻に描かれている。甲の巻には他に、猿狐鼠が描かれているが、兎と猿、兎と狐、兎と鼠、蛙と猿、蛙と狐、蛙と鼠、猿と狐、猿と鼠、狐と鼠の取り組みはない。巻の先へ行くと、蓮の葉の上に座り、印を結ぶ釈迦如来の姿を真似た蛙の前で、袈裟を垂らした猿が経を上げている図がある。神事の占い角力は、五穀豊穣を願い、秋に行われる行事である。兎らの足元に生えている女郎花、萩、薄、葛らしきものはいずれも秋の草である。鳥獣人物戯画の兎と蛙の角力は、神事の角力を厳かに模すことを意図して描かれているはずである。『古事記』に出る兎は、騙した和邇(わに)に皮を剥ぎ取られ、八十神の云う海水で酷い目に遭い、大國主神に聞いた真水と蒲の花粉で傷を治した後、神になり、大國主神の結婚を予言する。蛙も『古事記』にタニクク(ひきがえる)として、諸神が知らないと応えた少名毘古那神の名を大國主神に、久延毘古(クエヒコ・かかし)が知っていると応える役回りで出て来る。『かちかち山』の兎は、助けてもらった爺の仇を討つ。狸の背負った柴の枯れ枝に火を点け、火傷に唐辛子入りの味噌を塗り、最後は狸を泥舟で海に沈める。『今昔物語集』の兎は、食べ物を見つけることが出来ず、自分を差し出すつもりで帝釈天の前で火に飛び込む。手足に水かきがある蛙が、釈迦の姿を真似たのには理由がある。釈迦の手足の指の間に、大海原を泳ぐような修行で出来たとされる膜が、蛙と同じようにあるからである。兎と蛙の取り組みは、兎がもんどりうって地面に転がり、蛙に軍配が上がる。鳥獣人物戯画は、華厳宗明恵道場高山寺の所蔵である。明恵は厳粛に戒律を守り、守らせた僧である。釈迦を真似た蛙が身を差し出した兎に負ければ、鳥獣人物戯画は面白くなった。しかし、兎は嘘をつく。枯れ枝を背負った狸が訊く。「いま、カチカチって聞こえなかった?」「カチカチ鳥が鳴いたのさ」

 「われわれの時代に、この忘れられた道をたどって旅をする者は、ラクダの鈴の音が遠くに消えるこだまや、ラクダを追う御者の叫び声のこだまを、ただ想像のうちで聞くのみである。」(スウェン・ヘディン 岩村忍訳『さまよえる湖』角川文庫1968年)

 「本県18歳以上甲状腺がんチェルノブイリと別型」(平成26年11月15日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)