旅鶴や身におぼえなき姉がいて 寺山修司。心当たりのない姉が目の前に現れることは、劇、物語の始まりとなる。姉という兄弟の存在がなかった人生が、ある日を境に姉のいる生活に変わってしまう。「身におぼえなき」は、心当たりがない、では言い収まらない戸惑い、動揺を素直に示し、「身におぼえなき姉」は、言葉として奇異であり、奇異であることで常識を外れ、寺山修司本領の劇が動き出す。「身におぼえなき姉」は、身近にいるとは限らない。「旅鶴や」の旅は、遠く見知らぬ町に住む姉に思いを馳せているのかもしれぬ。あるいは言葉の通り、「身におぼえなき姉」と冬の空を旅している二羽の鶴そのものかもしれぬ。寺山修司は、このような劇的要素を俳句に持ち込み、叙情仮想を俳句に齎した。月蝕待つみずから遺失物となり。ランボーを五行とびこす恋猫や。九月の森石打ちて火を創るかな。旅の鶴鏡台売れば空のこる。「姉小路通。あねやこうじどおり。中京区の中央部にある東西路。御池通三条通の間に位置。東は木屋町通の中京区恵比寿町から、西は御前通の同区西ノ京西月光町まで。途中二条駅で中断するが、御前通から西へ佐井通までも姉小路通と俗称する。平安京姉小路にほぼ相当し、朱雀大路の東西には左右京職があった。なお、鴨川以東を通る三条通北裏道は東姉小路ともいう。」(『京都大事典』淡交社1984年刊)「姉小路通。あねがこうぢ。寺町西へ、あねがこうぢ町。さしや町。柳のばゞにしへ、わかさや町。此の町の西はどんげ院どの屋敷にて行當東の洞院通西へ入町より。東のとう院にしへ、車や町。この町は車借の家おほし南行に後藤庄三が家有。からす丸にしへ、神明東町。むろ町にしへ、神明町。此町北行に神明あり又町内は釘鍛冶おほし。西のとう院にしへ、まるを町。此町昔少納言信西入道の家ありしを平治の亂に源義朝その家を焼かれしといふ。油こうぢ西へ、かぢや町。此町に毘沙門堂あり町内鍛冶やおほくあり。ほり川西へ、たるや町。此町は桶樽つくれるものおほし。さか屋町、この町の西は酒井讃岐守殿御屋敷あり。」(『京雀』寛文五年(1665)刊)平安京姉小路の名の由来は定かではない。姉のような通りと解釈をすれば、通りの地勢地理に劇のような様相が現れ来るかもしれない。仮に旅鶴が上空から姉小路通に降り立ったとしても、人間のような理解はしない。鳥獣には鳥獣の地勢地理の理解があり、人間のような言葉の上の意味説明は通用しない。

 「夢のなかでのように、ヴェネツィアの時間の流れ方はふつうとちがっている。そして町自体が持続とはおよそ無縁だ。私たちは老いて行く。ところがこの町では、なにひとつあえて動こうとしない。あるいは本当に老いるものはなにもない。」(フェルナン・ブローデル 岩崎力訳『都市ヴェネツィア岩波書店1986年)

 「「港湾内汚染されている」第1原発で宮沢経産相が見解」(平成27年3月18日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)