上京元誓願寺通大宮西入ルの元妙蓮寺町は、かつて卯木山妙蓮寺のあった場所であり、豊臣秀吉の命で妙蓮寺はいま、寺之内通大宮東入ルの妙蓮寺前町にある。元妙蓮寺町も妙蓮寺前町も、西陣の東の端である。妙蓮寺の境内で、芙蓉の花が咲いている。花の色は、白か淡紅である。芙蓉は朝咲き出して、夕方に萎(しぼ)む。萎んだ花は、萎んだまま地面に落ちる。頭を布で覆った中年の女が、萎んで落ちた芙蓉を掃き寄せている。これは酔芙蓉、と云って、女の傍らで黒服の参拝客が指さした花は、白い八重である。黒服の参拝者は七八人いて、奥の墓地まで歩いて行って、全員で一つの墓石の前を囲む。墓地の隅に、形も大きさも違う墓石が隙間なく集められ、立っている。その、正面を前の石に塞がれた御影石の側面に、小さく、林次郎みよ、と彫られている。寄せ集められた墓石は、詣でる者の絶えた墓である。林次郎もみよも、この世にはいない。日の当たる寺の駐車場で、中年の男が箒の音を立てている。寺の掲示板に、住み込み従業員募集の貼紙があり、但し書きに、夫婦者とある。恐らくは、境内で箒を握る中年の男と女の代わりなのであろう。新たな夫婦者が来れば、この中年の男と女は、どこかへ去って行く。新たな夫婦者は、この世のどこかからやって来て、この中年夫婦が使う部屋で寝起きをし、芙蓉の落ちた花や葉を掃くのである。黒猫ゐてこの家の芙蓉まだ枯れず 秋元不死男。

 「〔夷町の主婦、五五歳〕こんどのウチ(新築のイエ)はダイドコもモダンなものにしとおすな。それにニワにいろんなもん植えてもっと陽当たりの良い場所でやってみとおすな。この町内でもだんだん郊外へいかはります。こないだ三〇年から一緒にいた人がヤドガエしはるので、集って送別会しましたんどす。また会いまひょうなあいうて。ときどき帰ってくるのやさかい行ったり来たりしょうとおもてます。」(島村 昇・鈴鹿幸雄他著『京の町屋』鹿島研究所出版会1971年)

 「廃炉へ地元で研究 文科省、福島大と福嶋高専事業採択」(平成27年10月7日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)