白朮(をけら)詣りを知ったのは、子ども時分にテレビで見たニュース映像で、その大晦日の夜、八坂神社の境内に吊るされた燈籠の火を細い縄に移し、火の点いたその赤い縄の先を手元で回しながら町中の夜道を歩いていたのは、自分とその年恰好の同じ子どもで、向けられたマイクに、家に帰ってこの火で雑煮を炊くと云っていた。それは誰でもが手に出来るお守りの類ではなく、その縄の長さだけで持ち帰ることの出来る範囲に住んでいる者の火のお守りだった。それから幾日も経ずに見たテレビドラマに、白朮詣りをする二人の子どもが出て来た。子どもは男の子と女の子で、その帰り道の途中で、そのどちらかの白朮の火が消えてしまう。火が消えた時、その子どもは一人きりで、もう一人の子どもとは道を別れた後か、そのもう一人の子どもが先に自分の家に帰り着いた後だったのかもしれない。子どもはハッとして、みるみる表情が暗くなる。が、その先のドラマの記憶は曖昧で、子どもは来た道を戻って、もう一人の子どもからその子どもの縄の火を移して貰ったか、そのもう一人の子どもの家まで行き、ガス台に火を点け、消しかけたところに間に合ったか、通りかかった煙草を銜えた大人からライターを貸して貰おうとしたのか、もう一度八坂神社の燈籠まで戻って行ったのか、そのまま消えてしまった縄を持って家に帰ったのか。白朮はキク科の薬草で、縄は吉兆縄といい竹で綯(な)っている。護摩木と一緒に焚く白朮火には、無病息災の願が込められている。その火の点いた吉兆縄の感触は、握ってみなければ分からない。消してしまって、子どもはその縄の火に触れたのである。ドラマは、正月のホームドラマである。年を跨いだ子どもの家族の揉め事は、紆余曲折の果てに目出度い決着をみたはずである。白朮火は、その子どもの兄姉が持ち帰ったもので雑煮の火としたかもしれない。大晦日の夜、八坂神社は立ち並ぶ露店と人で溢れかえっていた。鴨川縁(べり)の料理旅館の明りの点いた窓に、酒を酌み交わす者らの姿が見えた。シャッターを下ろした店々は、謹賀新年の挨拶を表に貼り出していた。脱いだ上着に、手にしていない白朮火の煙の匂いがした。

 「彼ひとりにしか関係がなかったとしたら、彼を屈服させたかもしれない現実からも解放されて、男はだんだんと、事物のうちに徴表(しるし)しか見まいとする傾向をつよめていった。」(「工事現場」マルグリット・デュラス 平岡篤賴訳『木立の中の日々』白水社1990年)

 「桑折の避難者ら訪れ復興の神楽 浪江の川添保存会」(平成28年1月1日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)