庇の下のベンチに腰を下ろしている小奇麗な身なりの老婦人に、顔の似た娘と思しき者が、「退屈してるの」と声を掛ける。堂を廻(めぐ)って祈る千度参りをさっきまでは二人でしていたのであるが、老婦人は途中で止め、庇の陰に入っていた。千度参りは、数え年の回数で堂を廻り、病の平癒や無病息災を願うのである。ここ家隆山光明遍照院石像寺(かりゅうざんこうみょうへんしょういんしゃくぞうじ)は、千本通上立売上ルにあり、釘抜地蔵尊と呼ばれている。苦を抜く、苦抜地蔵と呼ばれていた空海作と伝わる石地蔵が、「寺伝」に残る物語りでその名称が釘抜地蔵に変わったのである。「汝は前世に人を怨み、仮の人形をつくり、両手に八寸釘を打込んで呪いたることあり、その罪障によって苦しみを受く。われが救うてとらせよう。」両手を病んだ油小路上長者町の商人紀ノ国屋道林が、詣でた七日目の夜の夢に地蔵が現われ、こう告げると、目を覚ました道林の両手の痛みは已(や)み、翌朝その石地蔵は二本の釘を手に握っていたという。その老婦人の数え年が八十であれば、千度参りは八十回の堂廻りである。参る者は廻った回数を忘れぬよう、あらかじめ廻る回数分の竹棒を手に握り、一廻りで一本竹棒を元の場所に返していく。その老婦人は途中で止め、あるいは中断し、その娘と思しき者は千度参りを続けている。老婦人は、聞き取れない小さな声で何か応え、それから日向のどこかを見ている。紋黄蝶が一匹、日向を横切ってゆく。千度参りに二人三人が加わってゆく。老婦人が手提袋からペットボトルの茶を出して一口飲む。老婦人が娘と思しき者と一緒に始めた千度参りを途中で止めたことに、心が動かされる。そこには地蔵にはない、人の意思が存在している。

 「こうして、時間は大時計によってのみ測られるものではなくなった。もとよりこれはすべての都市で同一の時刻を告げていたわけではなかった。それまで商人はある町で自分の懐中時計を合わせたり、乗合馬車に備えつけの振り子時計で旅の所要時間を測ったりしていたが、彼らは次の宿駅でその所要時間を知ること、あるいは少なくとも町ごとに一貫した時間が施行されることを願っていた。」(ジャック・アタリ 蔵持不三也訳『時間の歴史』原書房1986年)

「楢葉・木戸川で「サケ漁」始まる 来春1000万匹放流へ採卵」(平成28年10月16日福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)