「対岸の桜」という小説がある。向こう岸をいう「対岸」は火事という続き言葉を持っている。鴨川の向こう岸で火事があった。燃えたのは一軒の古本屋である。「隔岸観火」は、火種を抱えた敵の自滅を待つ戦略だという。十一月の半ばを過ぎたその日は小春の陽気で、「私」は仕事に就いていて、その古本屋から以前に注文をしていた本が手に入ったという電話を貰う。「私」はその日は受け取りに行かなかったが、その翌日早朝に古本屋は火事に遭い、眠っていた「私」はそのことを知らなかった。五坪余りの店の二階がその主(あるじ)の住まいで、身元不明の遺体は連絡の取れない主であろうというのがその朝のニュースで、遺体は後に一人住まいをしていた本人であると確認される。「私」は便所に立ち、顔を洗ってそのことを知るのであるが、朝食を摂り、その日も仕事に行かなければならなかった。「私」は地面家屋の売買を仕事にしていて、燃えたその店舗は「私」が四年前にその主に売ったものだった。火事場の手前の角でも焦げ臭さが漂っていた。ガラスが割れた一階の戸は残っていたが、瓦屋根は焼け落ち、二階の壁もほぼ燃えてなくなり、両隣りも半焼けの有り様である。店の中の書棚に詰まった本は黒焦げになって残り、床に散乱した半ば燃えた本と燃えなかった本は、水を吸って分厚く波打っている。遺体が古本屋の主と確認されたのであれば、誰かが検死を終えた主に立ち会ったのには違いない。主には妻も子もなかったということを「私」は知っているが、その両親兄弟のことは、「私」は何も知らない。主は東北、福島の生まれだった。年は五十半ばで、左足が不自由だった。そのことが逃げ遅れた原因だったかもしれないと「私」は思う、四年前「私」の後ろについて上がった狭くて急な階段を、大丈夫ですよと云っていたのであるが。その主は東京からやって来て、店を探していると云った。「私」は後のちのトラブルを避けるため、相手を見定めなければならない。その男は現金はあると云った。高校の教師をある時期までやっていたとも云った、退職してからこれまで古本屋をやる準備をしていたと。「私」は鴨川の向こうにある、二年近く買い手のつかないガタのきた空き店舗をその男に見てもらった。気に入らなければもう少し値の張る物件を見てもらうつもりだったが、男はがらんとした一階を見廻し、不自由な足で二階に上がり、窓を開けて外を眺め、あの煙突は銭湯ですかと訊いた。この物件に風呂はなかった。「私」がそうだと云うと、男はここでいいと云った。話がついた後「私」が、原発の影響はどうだったのかと訊くと、福島ですか、影響があったところとなかったところがある、生まれた実家にはなかったと応えた。あの時は東京で、いまはこうして遠く離れて何を知っているわけではないが。店はそれから三月(みつき)で開き、「私」は年に二三度中を覗く程度でつき合いはなかったが、主から聞いたこんな話を覚えている。本は生きている者からではなく、死んだ者から仕入れるというのである。本物の本持ちは、生きている間は手放さない。その者の死を知った時直ちにその者の家に行き、悔やみを述べ、名刺を置いて来るのだという。決して人の死を願うのではないが、死によって世に残った本の入手を願い、商売根性で云えば総じて遺族は相場値を知らないから、と。「私」は、主の商売根性がどれほどのものであったかは分からない、果たして儲かっていたのかどうかということである。読んでいた本に「家にゑても見ゆる冬田を見に出づる」という句が載っていた。相生垣瓜人(あいおいがきかじん)という俳人の句である。俳句を趣味にする者ではないが、「私」はこの句を忘れがたく頭の隅に留め、その日に寄った古本屋の主に相生垣瓜人について訊いてみると、主は知っていると応え、恐らくその句は『微茫集』という句集に載っているとも云ったのである、いま手許にないが。「私」は、見えているものをあえて見に行くところの面白さを云うと、主はそれは中学生に教える答えで、と云ってから、教師面をすれば高校生になら実際に見に行った先で何を見るかが大事だと教えるんだろうな、と云った。いや面白いのは云う通り、どうしても見に行ってしまう百姓の姿なんだ。「私」はその句集が欲しいと思い、主に頼んだのが半年以上前のことであり、火事の前日、手に入ったという電話を受けたのである。それは偶々(たまたま)売りに来た者がいたのか、市場で仕入れたのか、あるいは死んだ者の蔵書の中にあったのかもしれない。が、それは火事のさ中で恐らくは燃え尽きてしまったのであろう。「私」が佇(たたず)んでいた火事場に、花を手に持った女が現れる。女は薄い花束を開いている戸に立て掛け、しゃがんで手を合わせた。その首筋の影は四十を過ぎた者のように、「私」の目に映る。「私」はその女に、身内の者か、知り合いの者かと訊かずにおれなかった。女は、十八までここに住んでいた、元の私の実家だと云う。そうであれば「私」は、元の店を手離したこの女の父親を知っているのである。そのことを云うと、女はえっと驚いた様子を見せ、暫(しばら)く口を噤(つぐ)んだままでいた。ここを相続しなかった女が親と過ごしたのは、十八までのことなのである。「壁とかにお茶の匂いが残ってはりまへんでしたか。」この女は元の店が、実家がお茶を売っていたことを云っているのだ。「確かに匂いは残ってはりました。」と、「私」が応える。「亡くなったお方は何を気に入って、こんな戸もうまく閉まらへん店を買うたのですか。」「不自由な足つこうて二階に上がって、窓からあの銭湯の煙突を見て決めはったんです。」

 「ホームレスが病気を患っている可能性は、新型コロナウイルスに感染する可能性よりも低いだろうか。派遣労働者として働いているシングルマザーにとって、体を崩して子どもに負担をかける怖さは、新型コロナウイルスの怖さよりも小さいだろうか。学校に馴染めない子どもたちが学校によって傷つくリスクは、この子たちに新型肺炎が発症するリスクよりも低いだろうか。権力を握る者たちは、毎日危機に人びとを晒してきたことを忘れているのだろうか。なにより、新型コロナウイルスが、こういった弱い立場に追いやられている人たちにこそ、甚大かつ長期的な影響を及ぼすという予測は、現代史を振り返っても十分にありうる。」(「パンデミックを生きる指針━歴史研究のアプローチ」藤原辰史 B面の岩波新書4月6日)

 「福島県で9人感染 新型コロナ、10代から60代」(令和2年4月16日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)