東山建仁寺塔頭両足院の主な建物は、方丈とその北奥に並ぶ書院と二つの茶室である。白木屋の寄進によるという方丈の苔の生えた長方の前庭には二本の松と大振りの石が立ち、回った東には土盛りに幾つかの石が寄せられ、方丈の北東角にある簡素な門を抜ければ、書院に沿って地面に飛び石が並び、飛び石は池の縁にも沿っていて、池は翼を広げて飛ぶ鶴の姿をしているといい、その水の翼の端に架かる石橋を渡ればそのままやや高みに建つ茶室に続く石段で、門の潜りより内の歩みは露地を行く歩みである。庭には鶴のほかにもう一匹縁起のいい動物の見立てがある。石を寄せた土盛りが亀の胴体で、石橋から向こうの池の縁に突き出ている石が亀の頭である。いま、飛ぶ鶴を模(かたど)った池の縁の石組を覆うように半夏生(はんげしょう)草が花をつけている。半夏生とは、夏至から十一日を過ぎた日から七夕の頃までをいうといい、半夏生草はその頃に花をつける故の名であり、古い名の別名片白草は、亜麻色の小花の穂を上に伸ばし出すと穂の下の葉の一二枚が白色に変じるからである。半夏生草の、目立たない亜麻色の穂と葉の白以外に何色もなく単純であることは、物足りなくも目に清々しい。この白と緑の清々しさにケチをつけるような紫陽花などは両足院の庭には咲いていない。池の奥の築山一面と所々に植わっている丸い刈り込みは、花の終わった躑躅である。禅寺の庭にある計算高い技の凝らしはここにはなく、書院から眺める穏やかな風情は野原の水辺の景色に近い。半夏生草は茶事に用いる花であるという。両足院の庭の半身を露地にしたのは、茶道藪内流五代竹心紹智である。平凡な雨の一日半夏生 宇多喜代子。「平凡」は、半夏生草に対する云いでもある。半夏生叔母の離れはその奥に 星野椿。この「叔母」は、未婚のままかあるいは出戻りのひとり身で年をとった者かもしれぬ。半夏生灯(ひとも)す頃に足袋を穿き 鈴木真砂女。夕べに台所に立った時の思いであろう。蒸し暑い梅雨時の床の思いの外の冷たさは、半夏生の冷たさである。

 「地球は夜を魔法使いの帽子のように被っている。この魔法使いの帽子は長く細く、太陽を起点として遠くの空間を指す。その帽子の縁の直径は八〇〇〇マイルである。帽子の縁は地球の眉の上にぴったりフィットしている。それは地球から八六万マイル先の向点まで延びている。影のつくる魔法使いの帽子は、縁の直径より一〇〇倍もの高さを持っている。それは地球から月の軌道までの三倍の距離にまで達する。そして月が、その軌道運動において、たまたまこの闇の帽の中を通過するようなことがあれば、月蝕が起こる。」(『夜の魂』チェット・レイモ 山下知夫訳 工作舎1988年)

 「第2原発廃炉作業6月23日着手 東京電力、7月上旬から除染」(令和3年6月23日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)