西ノ京御輿ヶ岡町の北野神社御旅所にテントが張られ、網で覆った内のテーブルの上に梅が整然と干されていた。これは一度塩漬けされた梅で、今月、七月の下旬に再び北野天満宮の本殿前で天日干しされ、年末に近づく頃御守りと一緒に授与品として巫女の前に並べられる。小遣銭の可愛さ梅干すにほひあり 中村草田男。この小遣銭を握っているのは、銭の意味を知ったばかりのような幼い子どもで、その姿を可愛いと思っているのは父親の草田男である。いま二人がいるのは家の庭先で、日向に干した梅が辺りに匂っている。これは草田男が目にした実景、日常の一コマであろう。この実景であるという以上に、小遣銭と干した梅の匂いとの間に意味は恐らくない。が、「梅干すにほひあり」に意味があるものとして、いまはまだその匂いは漂っているだけで、いずれ幼な子は世間の「酸(す)い」を知ることになる、とするのは下手な解釈である。が、子どもを甘やかす父親に梅を干す母親が目を光らせている、とでもすれば下手な解釈にも別の色がつく。梅干しを己(おの)れで漬ける者もいれば、そうしない者もいる。そうしない者の内でもかつてはそうしていた者もいれば、一度もそうしたことのない者もいる。そうしたことを一度もしたことがなくても、それを見たことがある者もいる。草田男の句の幼な子は、梅を干すのを傍らで見ていた者である。ある日、家にひとりで留守番役でいる。庭先に新聞を敷いた笊に梅が干してあった。留守番役は、外の空模様を絶えず気に掛けていなければならなかった。そこに緩い坂を上って子どもを連れた乞食と思しき男がやって来る。乞食は開いていた玄関先で迎え出た留守番役に、誰かいないですかと通る声で云った。留守番役は誰もいないと応えるしかなかった。乞食はじろりと家の奥に目を遣ってから、黙って後ろを向くと子どもの手を取って来た道を戻って行った。それから間もなく空が陰って嫌な風が吹き始め、大粒の雨がぽつぽつ降って来た。留守番役は急いで干してあった笊の梅を家の中に取り込んだ。その時乞食の父子のことを思ったのは自然な心の動きである。取り込んだ梅は廊下で匂い、仏間にも匂いが漂っていた。それから留守番役は考えた、乞食が来たことを親に云うべきかどうか。云われれば親は留守番役に、何かを応えなければならない。居たら米を遣ったのに、あるいは、何も施すことはない、と親の考えは食い違うかもしれない。黙っていればそもそもそのような食い違いが目の前で起こることはない。留守番役は親が帰って来ると、俄雨が降ったことだけを伝えたのである。

 「さらにくだると、オオカミたちがヒツジを追いかけたあたりに、地を這うようにはえるビャクシンの茂みがあり、私はゴツゴツとした木々のあいだをぬって枯枝を集める。手に入る薪はビャクシンだけだ。発育の止まったカンバもあるが、渓谷の深いところにはえていて、人は寄りつけない。リュックサックに入れてきた紐で薪を大きな束にして背中にかつぐと、私は山をくだり、川を渡り、シェイにつづく断崖をのぼる。僧院は活気づいており、さっきの道であった男も十一頭のヤクを探すためサルダンからやってきた連中の一人だったようだ。夏のあいだここで放牧されたヤクはこの場所になじんでしまい、ごく自然にここに戻ってくる。丘の静面の数頭、もっと草の多い川のなかの島におりたものもいる。」(『雪豹』ピーター・マシーセン 芹沢髙志訳 めるくまーる社1988年)

 「2地区(小出谷、小伝屋)一体の除染要望へ 葛尾と浪江の復興拠点外、家屋解体も」(令和3年6月29日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)