六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ)を写した古い写真には、その朱塗りの門前に「あの世への入口」と記した提灯が掲げられていた。八月七日から十日は六道まいりの期間で、珍皇寺は市中からの参拝者でごったがいするのであるが、昨年と今年は新盆の者のほかの参拝は遠慮してくれるよう珍皇寺は世間に告げ、露店の出ない六道まいりの境内は薄ら静かである。「河原面を過ゆけば、急ぐ心の程もなく、車大路や六波羅の、地蔵堂よと伏拝む。観音も同坐あり、闡提救世(せんだいぐぜ)の方便あらたに、たらちねを守り給へや。実(げに)や守りの末直に頼む命は白玉の、愛宕(おたぎ)の寺も打過ぬ。六道の辻とかや、実(げに)恐ろしや此道は、冥途(めいど)に通ふなるものを、心細鳥部山、煙の末も薄霞む、声も旅雁の横たはる、北斗の星の曇りなき。」(謡曲「熊野(ゆや)」)鴨川を渡って逸(はや)る心を押さえる間もなく着いた大和大路の向こう、六波羅蜜寺地蔵堂を伏し拝み、観音様の「すべての衆生を救うまでは成仏しない」という教えを思い出し、どうか母を守って下さいと願いました。ですが、先の命のことをいま知ることはできないのです。愛宕寺を過ぎると六道の辻に出ました。ここは冥途の入り口だと聞いていたので俄かに恐ろしく心細くなってしまいました。顔を上げると、死んだ人を葬るという鳥辺山から上がる煙が薄っすらと見え、旅の途中の雁の鳴き声が空に響き渡り、北斗星が煌々と瞬いています。「六道の辻とかや、実怖ろしや此道は、冥途に通ふなるものを」六道まいりをするためには、そのお参りのし方を知っていなければならない。まず境内の露店でお精霊(しょらい)がこれに乗るという高野槇の葉のついた枝を買い求め、次に本堂前の受付で故人の戒名あるいは俗名を告げ経木の水塔婆に書いてもらい、十万億土まで響くという小堂の壁の穴から出ている綱を引いて内の迎鐘を撞き、水塔婆に線香の香を焚きしめて石地蔵が並ぶ賽の河原に納め、高野槇で水を振り掛けながら水回向をし、お精霊(しょらい)の乗った高野槇はそのまま家に持ち帰る。あるいは持ち帰った高野槇を井戸の中に吊るせば、珍皇寺が祀る小野篁(おののたかむら)が井戸から冥府に通って閻魔大王の書記をしたという話になぞらえ、吊るした井戸がお精霊(しょらい)のこの世への戻り口になるという。そして戻ったお精霊(しょらい)は、この世の者たちと暫く時を過ごすのである。珍皇寺はお精霊(しょらい)があの世から帰って来るところであるが、六道の辻は人があの世へ行くところであるから恐ろしい。この六道は、衆生が自らこの世でなした業によって生死を繰り返す六つの世界、あらゆる苦しみを受ける地獄、嫉妬欲望にまみれてもがく餓鬼、弱肉強食で殺し合う畜生、怒りに任せて争いを繰り返す修羅、生病老死の四苦八苦から逃れられない人(にん)、享楽に過ごす天をいう。『今昔物語集』に「天竺人兄弟、持金通山語(てんじくのひとのきょうだい、こがねをもちてやまをとほれること)」(巻第四・第卅四)という話がある。「今ハ昔、天竺ニ兄弟二人ノ人有リ。具シテ道ヲ行ク間、各(オノオノ)千両ノ金(コガネ)ヲ持タリ。山々ヲ通テ行ク間、兄ノ思ハク、「我レ、弟ヲ殺シテ千両ノ金ヲ奪ヒ取テ、我ガ千両ノ金ニ加ヘテ二千両ノ金ヲ持タムト」思フ。弟ノ亦((マタ)、思ハク、「我レ、兄ヲ殺シテ千両ノ金ヲ奪ヒ取テ我ガ千両ノ金ニ加ヘテ二千両ヲ持バヤト」思フ。互ニ如此(カクノゴト)ク思フト云ヘドモ、未ダ思ヒ定ムル事无(ナキ)ガ間ニ、山ヲ通リ出デ、河ノ側ニ至ヌ。兄、此ノ持タル千両ノ金ヲ河ニ投入レツ。弟、此レヲ見テ兄ニ問テ云ク、「何ゾ金ヲ河ニ投入レ給フ」ト。兄、答テ云ク、「我レ、山通ツル間ニ、汝ヲ殺シテ持タル所ノ金ヲヤ取ラマシト思ヒツ。只一人有ル弟也。此ノ金无(ナ)カラマシカバ、汝ヲ殺ト思シヤハ。然(サ)レバ投入ツル也」ト。弟ノ云ク、「我モ亦、如此(カクノゴト)キ兄ヲ殺サムト思ヒツ。此レ皆、此ノ金ニ依テ也」ト云テ、弟モ持タル金ヲ同ク河ニ投入レツ。然(シカ)レバ、人ハ味ヒニ依テ命ヲ被奪(ウバハ)レ、財(タカラ)ニ依テ身ヲ害スル也。財ヲ不持ズシテ、身貧(イヤ)シカラム人、専(モツパラ)ニ不嘆(ナゲクベカラ)ズ。六道四生ニ廻ル事モ亦、財ヲ貪(ムサボ)ルニ依テ有ル事也トナム語リ傳ヘタルトヤ。」昔、天竺にある二人の兄弟がいて、とある同じ道を一緒に歩いていました。この兄弟は二人とも背中に千両の金を背負っていて、どちらもそのことを知っていました。幾つか山を越えて行く間に、この兄弟の兄はこんなことを頭に浮かべました。「いまここで弟を殺して弟から千両を奪えば、おれは二千両の金持ちになることが出来るぞ。」その時弟もまたこんなことを思っていたのです。「いま兄を殺せば、一遍に二千両の金持ちになることが出来るのになあ。」二人は互いに、心にそのような思いを抱きながらそうする決心もつかないまま、ひとつの山を越え、河が流れているところに出ました。すると兄は、背負っていた千両の金を下ろし、河に投げ捨てたのです。びっくりした弟は、兄に訊きました。「どうしてお金を捨てておしまいになったのです。」兄はこう応えました。「おれはさっきの山道で、お前を殺してお前の金を奪おうと思ったのだ。だが、お前はおれのたった一人の弟だ。なまじこんな金を持っていたから、お前を殺そうなどという考えを起こしたんだ。だからおれは捨ててやった。」これを聞いた弟は、こう云いました。「わたしもあなたと同じように考え、あなたを殺してやろうと思っていました。そうなんです。わたしも兄さんも金に惑わされてこんな思いに嵌まってしまったんです。」弟も背負っていた自分の金を河に投げ捨てました。人は喰ったもので命を奪われることもあり、財産で身を滅ぼすこともあるのです。財産といえるようなものが何もなく貧乏だからといって嘆く必要はまったくありません。財産に拘(こだわ)る限り、六道四生(ししょう、母親の胎内から生まれ、卵から孵り、湿ったところから虫のように湧き、何もないところから忽然と生まれることを繰り返す)を永遠にぐるぐる生き廻らされるのです、と後々に語り伝えられたということです。が、この兄弟の兄は、あるいは弟に殺されるかもしれないと思い、その前に金を捨てたのかもしれず、弟もまた同じように兄に殺される前に金を捨てようと思ったのかもしれない。が、かくしてこの兄弟はいま暫くはこの世の「人」に留まったのである。迎鐘撞ききて熱し土不踏 石田あき子。

 「細長い屋根のついた桟橋に立つ人は、もはやこちらとはいえずさりとてあちらともいいかねる国にいるようなものだ。薄黄色の天井はこだまする人の叫び声でいっぱいだ。あたりは荷物運搬車のごろごろいう音や、トランクを置く重い音、起重機のたえずきしる音、それに、はじめてかぐ湖のかおりが流れている。たっぷり時間があるのに、人々は急いで通りぬける。過去の世界、あの大陸はすでにうしろにとり残され、未来は船腹にきらきら光る口を開けて待っている。薄暗くてそうぞうしいこの小路だけが、はなはだ困ったことに、現在にほかならぬ。」(『夜はやさしフランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド 谷口陸男訳 角川文庫1960年)

 「「復興五輪」…発信わずか 新型コロナ拡大にのみこまれた理念」(令和3年8月10日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)