北野天満宮の二十五日は、菅原道真の月命日で天神市が立ち、普段はタクシーが屯(たむろ)している一の鳥居から楼門前の駐車場、東の御前通を築地に沿って上七軒を過ぎた本殿の裏まで野菜、漬物、七味、餅、菓子、海産物、植木、骨董、陶器、古着、古道具、雑貨等々の数百の露店が並ぶ。北門の裏の通りはそのまま西へ進めば、桜でその名を知られる平野神社の正面である。露店の流れはこの平野神社の鳥居の前まで来て、ようやく尽きる。その露店の最後が、通りを挟んだ両角の住宅の軒先で「店」を開いている。一方は普段着姿の三四人がパイプ椅子から足を投げ出し、古着や小物を箱やテーブルの上に並べ、もう一方ではよそ行きのような服装できちんと髪を整えた年配の女がひとり、地べたに敷いたシートに正座をし、鋏を入れていない反物や畳んだ着物や帯を膝の前に並べている。背にしている住宅の壁には、「京染」という大きな字が書いてある。この小奇麗な様子の女は、この家の者かもしれないが、この家の知り合いあるいは関係のない者が玄関先を借りているのかもしれない。ここまで来れば人の通りはまばらで、この女の「店」で足を止める者はいまのところいない。それはこの女が並べているものが、天神さんにショバ代を払っている業者が商うガサツな安物よりも品質が良く値が張りそうで、たとえば足を止めて気楽に売り物に触ってみるようなことをどこか許さぬような雰囲気を漂わせているからかもしれない。このような雰囲気を漂わせるのは町中(まちなか)で本物の「商売」をしている者か、まったく「商売」などをしたことのない者である。時折り冷たい風が吹く中、女は口を真一文字に結び、座布団から手を伸ばしめくれた売り物を直す。天神市の終わりは日没である。あるいは売り物がなくなれば店を開けている理由はなくなる。「京染」と書いてある家の玄関先で反物着物を並べるこの者はどうであろうか。天神市の流れに乗じた、それも端の端にいて、値段も示していない物の前でどれほどの者が足を止めるだろうか。コンクリートの地べたに座布団一枚では、体は冷えて来る。この者がこの家の者であれば、いずれ家の中に駆け込むかもしれない。この家の者でなければ、じっと手足の寒さに耐えなければならない。「京染」の家に駆け込んだ者は用を足した後、今度は玄関戸を開け、内から店番をする横着の仕方に変える。そうなれば今度は風で少々着物がめくれても、出て行って直すのが面倒になって来る。人の通りが何かぼんやりと目に映る。この家の者でない者は、日が西に傾いて漸(ようや)くに射し込む光に開いた両手を当てる。その光を遮るのは、「店」の前で誰かが立ち止まった時である。この頃の日は思った以上に早く傾く。「京染」の家の者は、手早くシートの上の反物着物を片づける。売れ残った、あるいは売れなかった物はこの者にとってそもそも用のない物であったが、その用のない物はまた物置か押入れに仕舞われ、女は夕飯の支度に取り掛かる。そうではなく女が「京染」の玄関先を借りているのであれば、約束の通り家族のひとり、たとえばこの者の息子が車でやって来る。息子はこの者の顔つきよりも、車に積み込む荷物の嵩(かさ)で売れたかどうかが分かる。女は乗り込んだ車の暖かさにほっとするだろう。ハンドルを握る息子は心の内ではじめから売れることはないと思っていて、やはり思った通りであると、いま思っている。女の方も、息子がそう思っている、そう思われているだろうと思っている。どちらも一言も口をきかないのは大方そういう時である。先月もそうだったと息子は思う。が、いま息子の頭に突拍子もない考えが浮かんで来る。母親が車を止めてくれと云い、荷物を鴨川に投げ捨ててしまうのである。あるいは己(おの)れが母親の荷物を捨ててしまうのである。が、助手席の女は、そんなことを微塵も思っていない。息子が用意してくれているという夕食の前に、すぐにでも暖かい湯に漬かりたい、と女は思っているのである。

 「朝が来て、日光が熱くなってくると、村の少年の一人が、コンゴ河の季節も終りに来たことなど少しも考えていないらしく、グラウンドにぴょんぴょんとんできた。それとも、たとえミスタ・フェアスミスと人足たちが密林からやってくる以前の村の生活に友だちや父たちがもどったところで、せめてマンディーズ監督と「ぴりっとした」ゲームができればと願っていたのかもしれない。ミスタ・フェアスミスがウィ・ウィリー・キーラーにあやかって、ウィ・ウィリーと名前をつけたのはこの少年である。「だれもいないところに打て」の名言をのこしているウィ・ウィリー・キーラーは少年の想像力をいやが上にもかきたてた。黒人の少年にしては、とびぬけて頭がよかったから、かたことの英語もおぼえたし、足の動かし方やボールを遠く打つことも飲みこんだ。」(『素晴らしいアメリカ野球』フィリップ・ロス 中野好夫常盤新平訳 集英社文庫1978年)

 「処理水海洋放出のトンネル建設調査、11月27日にも着手、東電」(令和3年11月27日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)