鹿ヶ谷(ししがだに)法然院の茅葺門の左手に、飛び石をその前に並べた茶庭の中門の様な小さな門があり、普段は閉ざされていて通りすがりの者がその門を潜ることは出来ないが、この門の内にあるのは金毛院という名の寺である。あでやかな紅葉もいまは落葉となった法然院は善気山萬無教寺あるいは本山獅子谷法然院ともいわれ、知恩院三十八世萬無心阿と弟子の忍澂が荒廃していた修行道場を延宝八年(1680)に再興したとされている。この忍澂の隠居所が金毛院で、獅子山金毛院が正式の名である。紫野大徳寺の三門金毛閣にもこの金毛の名が使われている。金毛閣は織田信長の七回忌の年の天正十七年(1589)、千利休が金を集め元の三門に二階を継ぎ足して楼門とし、大徳寺雪駄履きの利休の木像をその二階に祀ってその礼としたが、後にそのことを知った豊臣秀吉はオレに利休の股の下を潜らせるのかと激怒し、利休は切腹をする羽目になる。金毛は獅子の金毛をいい、金毛の獅子は優れた仏教者のことであるという。「金毛獅子変成狗(いぬ)」は、真の仏教徒は狗畜生に身を落とし俗世に住まう人を救済をする、という教えである。が、この金毛獅子の実際は龍と同じようにいまだ誰も見たことのない空想の生きものであり、空想であるが故(ゆえ)に屏風絵には潰れた鼻面(はなづら)顔の回りと尻尾の毛が金色に渦巻く唐獅子として描かれる。が、獅子は神に仕えるものでもある。その神に仕える獅子は狗とならず、屏風に描かれた面(つら)のままで人に交わり舞う。荷を解きて獅子舞となる舟着場 米澤吾亦紅。獅子舞の獅子さげて畑急ぐなり 森澄雄。獅子舞の笛のきこえてこゝへは来ず 安住 敦。舞ひ終へて金色さむし獅子頭 三橋鷹女。この金毛の獅子は、人が獅子の姿に成り代わり世間の災いを祓うのである。獅子舞や師走の空の雪催ひ 富田木歩。

 「楽しい時間だった。二枚のティッシュ・ペーパーを結び合わせたり、一枚のペーパーに結び目を作ったり、丸めた紙を水にひたし、それで自分の好きなもの━━山脈、王宮、魔女、ミミズク、王冠、天使━━を作るのだ。濡れているとぐにゃぐにゃだが乾くと固くなるそれらの紙細工の品は、暗く低い宮殿、うす闇の町に閉じこめられているが、祖母の燭台を持ちこむと、ベッドの下はたちまち光輝く舞踏会場に変わる。」(『聖域』カルロス・フェンテス 木村栄一訳 国書刊行会1978年)

 「東京電力「地質調査」開始 海底トンネル、処理水海洋放出巡り」(令和3年12月15日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)