こういう場面は、恐らくは目にしない方がいいのだろう。赤鬼、青鬼、黒鬼がスリッパのようなものを履いてロープで区切られた内で出番を待っている。スリッパの足元は砂利である。三鬼の前に笙を手にした平安装束の男が二人立っている。本殿前で太鼓が打ち鳴らされ、法螺貝が響き渡ると鬼の出番である。笙を奏でる男に先導され、松明を掲げた赤鬼を先頭に三鬼が紅白の特設舞台の上に上る。舞台の周りは大層な人の数である。三鬼は剣、斧、大槌を手にその小さな舞台の上を大股で拍子を取るように大仰にゆっくり歩き回り、水色の法被を着た者が松明から舞台に落ちる火のついた雫を腰を屈めながら拭いて歩く。二月三日の午後、京都御所の東上京寺町通広小路上ルの蘆山寺(ろざんじ)の節分会追儺式「鬼法楽」はこのようにして始まる。が、その前のひと時、前座のように剣と松明を持った肌色の鬼が現れ、本殿の濡縁に出した椅子に腰かけ、列をなす参拝の者から身体の悩みを聞き、傍らの僧の読経に合わせ、頭やら腰を剣で撫でさすっている。この「鬼」は「邪気」つまり「毒」を抜かれているのだという。舞台の上で踊る三鬼は所を本殿の内に移し、護摩を焚く僧の周りを暫く回り、太鼓、法螺貝が止む。間もなく追儺師という者が舞台に現れ東、南、西、北、中央にそれぞれ矢を放つと、「毒」を喰らったように三鬼は身を反りかえらせ、足を縺れさせながら大仰に舞台を巡り、逃げるように舞台から去り、砂利の上でスリッパを履く。その始まりから鬼が再びスリッパを履くまで一時間経っている。空は晴れの予報に反し曇りのままで寒く、隣りで見物をしていた初老の夫婦者の、痩せた女の方が「膝がしんどい」と男に云うと、男は「ほないこか」と返し、女が頷くと人垣の後ろをひそと境内から出て行った。午後四時、舞台に福娘、年男、寺の者らが現れ豆撒きがはじまる。「豆」は袋に入った紅白の豆と餅である。あの初老の夫婦は、舞台で踊った鬼のように退散したのではないであろうに。

 「この翁、ものの憑きたりけるにや、また、しかるべく神仏の思はせ給ひけるにや、あはれ、走り出でて舞はばやと思ふを、一度は思ひ返しつ。それに、何となく、鬼どもがうちあげたる拍子のよげに聞えければ、さもあれ、走り出でて舞ひてん、死なばさてありなん(死んだら死んだでそれまでのこと)と思ひとりて、木のうつほより、烏帽子は鼻に垂れかけたる翁の、腰に斧(よき)といふ木伐る物さして、横座の鬼のゐたる前に躍り出でたり。」(「三、鬼に瘤取らるる事」『宇治拾遺物語』)

 「処理水40万トン放出必要 廃炉施設整備へ試算、30年ごろまでに」(令和5年2月4日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)