啓蟄や叱れば泣きぬ女弟子 梶山千鶴子。師弟の間で師が弟子を叱るということはあるだろう。弟子を叱らない師もいるかもしれないし、師に叱られても泣かない弟子もいるかもしれない。が、この句の師は女の弟子を叱り、叱られた弟子は泣いた。弟子は師の云う通りにあることが出来ない。あるいは云われた通りのことをしなかった。いや云う通りにしても違うと云われたのかもしれない。師は弟子が泣くことは思わぬことで、弟子も自分が泣いてしまったことは思わぬことだった。頃は啓蟄啓蟄とは、「月令に曰(いはく)、仲春月、蟄虫咸(みな)動き、戸を啓(ひら)きて始めて出づ」(『滑稽雑談』正徳三年(1713)刊)ことである。寒さが薄らぎ、桜が待ち遠しいこの時期にこの弟子は前に進むことが出来ないでいる。「(赤ン坊を背負った)女が林に囲まれた農家へ消えた。その辺りから道は軽い登り勾配になっていた。林のそばを通る時、かなり年を喰った女の野良声が聞こえた。「だから言わんこっちゃないべ」「買った時は商品の返品に応じますって、ちゃんと言ったんです、あの人」赤ン坊が泣き出した。「そら見ろ、おめえが大きな声出すから泣き出したじゃねえかよ」」(「児玉まで」車谷長吉『金輪際』文藝春秋1999年刊)この赤ン坊は姑に責められた嫁、自分の母親の代わりに泣いたのだろう。啓蟄や耳にしたがふ京言葉 柴田白葉女。耳にしたがふ、耳順とは何事を聞いてもすなおに理解出来ることをいい、『論語』為政編の「六十而耳順」のみみしたがうであり、六十歳を耳順ともいうという。あの叱られた弟子はいま六十になり、師の京言葉を素直に聞いている。折しも頃は啓蟄啓蟄やこの世のもののみな眩し 桂信子。啓蟄や生きとし生きるものに影 斎藤空華。

 「やがて聞きなれたラバ追い人のしわがれた声とともに、鈴の音がにぎやかに聞こえてくると、夜の隊商が通りすぎていった。しばらくすると、静寂がふいにやぶられた。角の塔に立っていた見張り番が、近くを通りすぎたひとりのペルシア人を怒鳴りつけ、縮みあがらせたのである。音から判断するに、三、四頭のロバを連れているようだった。」(『大冒険時代』マーク・ジェンキンス編 早川書房2007年)

 「浪江と富岡の復興拠点、避難指示解除正式決定 政府が合同会議」(令和5年3月23日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)