花に暮ぬ我すむ京に帰去来(かえりなん) 蕪村。桜を眺めてあっという間に日が暮れてしまった。そろそろ京の我が家に帰るとしよう。蕪村は陶淵明の詩「帰去来辞」の「帰去来」をそのまま使ってお道化てみせた。が、「帰去来辞」とはこのような詩である。「帰去来兮(かへりなんいざ) 請(こ)う交りを息(や)め以て游(ゆ)を絶たん 世と我と相違えるに 復(ま)た言(ここ)に駕(が)して焉(なに)をか求めん 親戚の情話を悦び 琴と書とを楽しみて以て憂ひを消さん 農人余(われ)に告ぐるに春の及ぶを以て将(まさ)に西疇(せいちゅう)に事有らんとすと 或は巾車(きんしゃ)に命じ 或は孤舟に棹さす 既に窈窕(ようちょう)として以て壑(たに)を尋ね 亦(ま)た崎嶇(きく)として丘を経(ふ) 木は欣欣(きんきん)として以て栄ゆるに向かい 泉は涓涓(けんけん)として始めて流る 万物の時を得ざるを善(よ)みして 吾が生の行々(ゆくゆく)休せんとするを感ず 已(やん)ぬるかな 形を宇内(うだい)に寓す 復(ま)た幾時ぞ 曷(なん)ぞ心を委ね去留(きょりゅう)に任せざる 胡爲(なんす)れぞ遑遑(こうこう)として何(いづ)くに之(ゆ)かんと欲す 富貴は吾が願いに非ず 帝郷(ていきょう)は期すべからず 良辰(りょうしん)を懷(おも)うて以て孤(ひと)り往き 或は杖を植(た)てて紜耔(うんし)す 東皋(とうこう)に登り以て舒(おもむろ)に嘯(ふ)し 清流に臨みて詩を賦(ふ)す 聊(いささ)か化(か)に乗じて以て尽くるに帰し 夫(か)の天命を楽しみて復(ま)た奚(なに)をか疑はん。 さあ帰ろう。人と交わるのはもうやめ、あちこちふらふらするのももうおしまいにしよう。世の中と私ははじめから相容れなかったのだ。いまさら役人に戻ってどうするつもりだ。叔父さんや叔母さんたちの愛情たっぷりの心のこもる話に胸ときめかせ、琴を弾き書物をひもとけば憂いなんか消えてしまう。ひとりの農夫が私にこう告げる、もう春ですね、そろそろ西の畑で農作業がはじまります。ある日は幌馬車に乗り、また別の日にはたったひとりで舟を漕いで、奥深い谷に行き、険しい丘を越える。そこで木々は生き生きと生い茂り、泉は迸るように湧き出していた。何もかもが素晴らしいこの時にめぐり合うことを嬉しく思いながら、私は己(おの)れの人生が次第に死に近づいていることを実感する。それは仕方のないことなのだ。この世に生きながらえているのも、いったいあとどのくらいか。人はどうして心を委ね、自然のなりゆきにまかせようとしないのか。どうして運命に身をまかせないのか。どうして心が落ち着かず、うろうろして、どこに行こうとするのか。富も名誉も私はいらない。仙人の住む世界などまったく思いもつかぬことだ。天気の良い日を選んで一人で出かけ、時に杖を土に突き立て、雑草を毟ったり、植えたものの根に土をかけてあげよう。東の丘に登ってのんびり笛を吹き、清流の傍らで詩を作るのだ。ともあれ自然が移ろうのにまかせ、命が尽きるを待とう。あの天命というものを楽しみ、それに安んじて何を懼(おそ)れることがあろうか。」(「帰去来辞」後半)哲学の道沿いの桜が満開である。そぞろ歩きの人の行き来は絶えず、その半分は海外からの者のようだ。足を止めればその者らの目にも別の景色が見えるかもしれぬが、この混みようではそれも許されない。たとえば止めた足を銀閣寺橋から来れば小橋を渡った最も遠い大豊神社まで運ぶ者はほとんどなく、段を八段上った小さな本殿前の枝垂れ桜を目にする者はまれである。本殿の裏は低い椿ヶ峰の木の繁りで、段の下から見上げる鳥居と枝垂れ桜の景色はいかにも浮世絵の如く古めかしく、その古めかしい分だけ心が動く。嵯峨へ帰る人はいづちの花に暮れ 蕪村。嵯峨の桜を楽しんで我が家へ帰る私と反対に、都から嵯峨へ戻って来る人がいる。あの人はいったいどこの花見からの帰りだろう。地元で花見をしないで。

 「五人が並ぶ。そこに風が吹き、花吹雪が舞う。素晴らしい舞い方だ。傾きはじめた陽光を反射させながら、空間全体が斜めに流れるようだ。しかしこの人たちのためにファインダーを覗くのに気持ちが取られ、花吹雪を堪能しそびれる。」(『カフカ式練習帳』保坂和志 文藝春秋2012年)

 「土台内側に堆積物 東京電力、第1原発1号機の格納容器内調査」(令和5年3月30日 福島民友ニュース・みんゆうNet掲載)