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 伏見稲荷大社の提灯明りを観に来たのだが、まだ午である。稲荷駅から少し東福寺駅の方に戻った蕎麦屋に入り、どうにか読める照明の下で、品書きから鰊蕎麦を頼んだ。程なく入って来た五人の集団が、満席ですと断られる。十八九人の客がいた。奥にも座敷があるというが、見えない。入った時から少し調子の外れた男の声がしていた。隅のテーブルで、四十前後の男の向かいに母親らしい年の入った女が座っている。今度セカンドが代わってさあ、マエジマ電気の倅だよ、知ってるだろ。母親は窓の外に顔を向けていて、男の話には反応しない。男は気にも留めず、蕎麦を啜りながら話を続ける。守備はそこそこ上手いんだけど、打てないんだよな、あいつ、中学ん時から。あ、サクマもこの前の試合で怪我しちゃったから、次は駄目だな。母親は窓を向いたまま、箸でうどんを挟んでゆっくり口に持っていく。ピッチャーはオオタ鉄工のハヤシで、ライトはイノウエ釣り具のイノウエだと云う。鰊蕎麦が来る。蕎麦は二本の箸で挟むことが出来ないほどにのびている。駅に戻り、コンビニエンスストアで森永ミルクキャラメルを買って外に出たところで、雨が来た。ゴミ箱の横で上がるのを待った。正面の参道にいたびしょ濡れの観光客が、次々店に入ってはビニール傘を買っていく。中国人の若い男たちが土砂降りの鳥居の前で、おどけながら写真を撮る。鳥居の先の楼門の下に、参拝客らが肩を寄せ合う小さな姿が見える。キャラメルを三粒舐めたところで、雨が上がる。一緒に雨宿りをしていた若い中国人たちはすでにいない。鳥居を潜る。長く緩い上り傾斜の参道の両側に、赤い奉納提灯がずらりと下がっている。雲の割れた空に日はあり、明りはまだ点っていない。また鳥居を潜り、楼門の左手の石段を上がると、土産物屋が並んでいる。店先の、降った雨を溜めた金龍茶碗の底に埃が沈んでいる。朱色に塗られた本殿を右に過ぎ、鳥居を潜り、石段を上がる。案内図に祭場とあり、その朱色の祭場を左に石段を上がる。右手に例の千本鳥居が待っている。ガイドブックの類で幾たびも見かけたことのある、テレビドラマの殺人犯が潜った鳥居である。愛媛倶楽部というリボンを胸に付けた人たちのあとについて潜って行く。ひとつひとつにその奉納年月日と奉納者名の記された鳥居は、櫛比さながらに並んでいて、ガイドブックに嘘はない。参道は一旦下り、くねりながら上がっていく。その間も途切れることなく、戻って来る参拝客とすれ違う。やがて参道はふた手に分かれ、その真ん中に、奥之院へ一丁と左右のどちらにも書いてある石柱が立っている。愛媛倶楽部の面々が左の参道を選んだので、そのままついて行く。千本鳥居が尽き、社務所の前に出る。社務所の正面の鳥居の横に、この先の鳥居参道を一周するのに二時間かかります、と記した案内板が立っている。社務所で購った狐の絵馬を書き始めた愛媛倶楽部の面々と別れ、前に進む。鳥居が途切れたところの便所で用を足し、次の鳥居を潜り始めてすぐにぱらぱらと雨が落ちてきた。便所まで戻り、庇の下で已むのを待った。便所の壁に並んだ六七人が暫く、雨を見ていた。上がり、歩き出したが、一旦便所の庇まで戻った気持ちが、足を重くした。この先に待っているのは、ここに来るまで潜って来たものと同じ鳥居のトンネルである。そう思いながら鳥居を潜って行く。階段が現れ、上がると池が見えた。熊鷹社という社が立っていた。軒先で太さがまちまちな蝋燭を売っている。先にある鳥居参道から駆け下りて来た男が、何してるんだ、と池を見ていた男の子どもに声を掛けた。「亀ッ」、と子どもが応えた。子どもの応えを横で聞いて、可笑しくなり、先へ行く気持ちが折れる。蝋燭の点る燭台の傍らで、狐がこちらを向いて笑っている。来た道を戻る。鳥居の間から日が差している。洩れる日を眩しそうに見上げた男とすれ違い、おやと思った。どこかで見た顔だと思い、中学時代の同級生に似ていると思いがゆく。が、その男とは卒業以来会ったことはない。二股の鳥居のところに出、左を進んだ。また知った顔とすれ違った。二十年以上前に仕事で出入りしていた会社の男の、二十年後のような顔だと思った。どちらもこっちを気にも留めなかった。一旦境内を出、細い川と線路を渡り、喫茶店で白髪の店主が淹れた珈琲を胃に流し、日が落ちるのを待って戻った。参道の赤い奉納提灯にずらりと明りが点り、駐車場に組まれた櫓の周りで、浴衣姿の男女が春日八郎のお富さんに合わせ、踊っていた。さっきの道行きにも奉納提灯が点っていた。しかしその明りだけでは、すれ違う者の表情までは見えなかった。

 「このやうな種々な運搬の方法や、その他未だ發見されてゐない諸方法が、實に幾千萬年の間毎年作用し來つたのであるが、このやうにしても猶多くの植物が廣く運搬されなかったとすれば、それは實に不思議な事と云はねばならぬ。」(ダーウヰン著 松平道夫訳『種の起源』太陽堂1924年)

 「現場保管は98万立方メートル 市町村除染の汚染廃棄物」(平成26年7月21日 福島民友ニュース・minyuーnet掲載)