2019-01-01から1年間の記事一覧

川端茅舎(かわばたぼうしゃ)に、都府楼趾(とふろうし)菜殻焼く灰の降ることよ、の句がある。この都府楼趾は筑紫大宰府の趾のことであるが、その都府楼趾とはだだっ広い叢(くさむら)に礎石の散らばるばかりのところである。京都の南を流れる木津川沿い…

つげ義春の漫画『無能の人』に、石を売る話がある。多摩川の河原にボロ布で小屋を掛け、棚や足元に赤ん坊の頭ほどの石を並べ、中で身を縮めるようにして男が店番をしている。男は己(おの)れの描く漫画に行き詰まった漫画家である。小屋を通りがかった者が…

刈稲を置く音聞きに来よといふ 飯島晴子。田圃に実る稲穂の実物を、見ることも触ることもないまま一生を終える者はいるかもしれない。海から大網を引き上げる時の漁船の揺れや、屠殺場の豚の悲鳴を知らない者はそれ以上にいる。変わった句である。刈った稲を…

アーユージャパニーズ。目が合って一方的に話を始めたその者はその前に、あの氷のようなものは何を意味しているのか、とひとり言のようなものいいで云った。首に身分証をぶら下げた七十前後の痩せた小柄な女である。その氷のようなものは、山門の石段に伸び…

太秦蜂岡の広隆寺に国宝弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)がある。「十一月(しもつき)の己亥(つちのとのゐ)の朔(ついたちのひ)に、皇太子(ひつぎのみこ、厩戸豐聰皇子(うまやとのとよとみみのみこ)、聖徳太子)諸(もろもろ)の大…

蛇いちご魂二三箇色づきぬ 河原枇杷男。昭和四十八年(1973)青木八束は小説「蛇いちごの周囲」で第三十六回文學界新人賞を受賞し、その年の第六十九回芥川賞の候補になるが受賞しなかった。青木八束は、脚本家田村孟の筆名である。昭和四十四年(196…

昭和四十二年(1967)立命館大学の一回生だった高野悦子の、六月十五日の日記に紫野大徳寺の塔頭大仙院が出て来る。「きのう長沼さんと山川さんと酒井さんとの四人で大徳寺へ行く。黄梅院と大仙院をみる。季節はずれらしく人がいなかった。黄梅院の庭石…

鳥羽城南宮の門前に店を構えるおせきもちの折りに添えられる栞に、「江戸時代この地に「せき女」と申す娘が居て、その大道(鳥羽街道)をのぼって来た旅人に茶屋を設け、編笠の形をした餅を笠の裏にならべて、道ゆく人に食べさせていました。大変心の美しい…

江戸の絵師鈴木春信に、「夜の梅」と題する錦絵がある。暗い夜に手摺りのある張り出しの上に細い目の振袖姿の娘が立ち、振り向く様で頭上に伸びる白梅の枝に手燭をかざしている。あるいは「風流四季哥仙、二月、水辺梅」は、若い男が神社の朱い柵の上に登り…

繁華な市街、高辻通室町西入ル繁昌町に繁昌神社がある。朱の板囲いの立つ、大人が並んで五六人も詣でれば動きが取れなくなるような境内である。その高辻通に面して立つ鳥居の傍らに、京都市が書いた駒札が立っている。「繁昌社(はんじょうしゃ)。繁昌社の…

阿呆と煙は高いところを好む、あるいは高いところへ行きたがるという時の煙は、火によって燃えたものが二酸化炭素まで変じなかった炭素の姿であり、その火によって出来た上昇気流に押し上げられ、高いところを好むと云い表せば、生きもののようにも目に映り…

元日に届いたある者の賀状に、謹賀新年まだ京都ですか、とあった。含みのある言葉である。もしかするとこの宛先の主は住まいが変わっているかもしれないと、賀状をしたためながらこの者の頭を掠(かす)める。平成三十年の賀状は確かに京都の住所から届いて…